皆さんこんにちは、じぇらです!

これまで、トヨタの自動車、ノリタケの陶磁器と、名古屋を代表するものづくりを紹介してきました。

では今回のものづくりはというと……

駄菓子です。🍬

「いやいや、駄菓子もものづくりなん?」

と思ったそこのあなた‼️

もちろん、立派なものづくりです。

しかも名古屋は、駄菓子とかなり深〜い関係があります。

名古屋市西区の新道・明道町周辺には、今も駄菓子の問屋街が残っています。名古屋市もこの地域を国内有数の駄菓子問屋街として紹介しており、名古屋でつくられた駄菓子は昔から全国へ送り出されてきました。

ということで今回は、

「なんで名古屋にこんなに駄菓子が集まったん?」

その謎を追ってみます!
駄菓子の歴史、思ったより古かった。
名古屋の駄菓子文化をたどると、かなり昔までさかのぼります。

名古屋市西区の公式情報によると、新道周辺では元禄7年(1694年)、初代笠屋与八が門前町の供物菓子を扱ったことが地域の菓子産業の始まりとされ、文政年間には菓子商が盛んになっていったとされています。

つまり、

名古屋の駄菓子文化、300年以上の歴史がある。

クルマどころか、ノリタケができるよりもずっと前です。

名古屋城下には多くの人が暮らし、庶民向けの飴や煎餅などがつくられていきました。

「名古屋=自動車産業」という印象が強い現在からすると、これは結構意外じゃないでしょうか。
なんで西区・明道町だったの?
そして気になるのが、

「なんでまた西区なん?」

ということ。

ここで第1回の話とつながってきます。

現在の新道・明道町周辺は、昔から名古屋城下に近く、商人や職人が活動してきた地域です。

西区公式サイトによると、新道・明道町の菓子問屋街は後に販路を拡大し、特に関東大震災の頃から本格的に発展。多くの住民が菓子の製造や販売に携わるようになりました。

つまりこの地域では、

お菓子をつくる人

大量に仕入れる問屋

各地へ売る人


が集まっていった。

メーカーだけでなく、「つくったお菓子を全国へ送り出す仕組み」まで地域の中に形成されたことが、明道町の大きな特徴なんです。
朝から駄菓子を求めて人が殺到!?
↑旧中央菓子卸市場

明道町の歴史を調べていたら、個人的にかなり気になる言葉を見つけました。

その名も、

「カンカン部隊」

……何それ?(笑)

名古屋市図書館によると、戦後の新道町・明道町周辺は菓子だけでなく、包装紙や菓子ケース、玩具など関連業者まで集まる「菓子の町」として発展しました。

高度経済成長期には、商品を仕入れに来る人たちで早朝から混雑。その中には、大きな缶などを背負って商品を運ぶ人たちがおり、**「カンカン部隊」**と呼ばれていたそうです。

現在の静かな問屋街からは想像しにくいですが、

かつては朝から大量の人が駄菓子を仕入れ、

ここから全国へお菓子が運ばれていた。

明道町は、まさに名古屋の駄菓子文化の中心地だったんです。
「これも名古屋だったん!?」な駄菓子たち
うん、前の短い版と長い版の中間くらいなら、これがちょうどいいと思う。

「これも名古屋だったん!?」な駄菓子たち

名古屋市西区には、実は全国で知られている駄菓子メーカーがいくつもあります。

たとえば、カクダイ製菓の「クッピーラムネ」、丸川製菓の「オレンジマーブルガム」や「フィリックスフーセンガム」共親製菓の「フルーツの森」など。

子どもの頃から何気なく食べていた人も多いと思いますが、

「え、これ名古屋でつくられとったん!?」

と驚くものも多いんじゃないでしょうか。
そして、もう一つ紹介したいのが、名古屋市西区枇杷島の富士製菓がつくる「もちもち君」です。

小さな四角い餅飴を爪楊枝で刺して食べる、昔ながらの駄菓子。コーラやさくらんぼ、グレープなど、さまざまな味があります。


今回、富士製菓の方に直接メールでお話を伺ったところ、こうした駄菓子をつくり続ける裏には、後継者の問題や設備の更新、原材料費の負担など、小さなメーカーならではの課題もあることが分かりました。

数十円で買える小さな駄菓子ですが、その一つをつくり続けるためには、たくさんの工夫や努力があります。

トヨタの自動車やノリタケの陶磁器とは大きさも値段も全く違いますが、

「より良いものをつくり、それを次の世代へ残していく」

という点では同じものづくり。

だからこそ、駄菓子も名古屋の大切な「ものづくり文化」の一つなんです。
でも、昔と同じではない。
↑昔から続く菓子問屋

ただし、現在も昔と同じ賑わいが続いているわけではありません。

スーパーやコンビニなど流通の仕組みが変わり、人々の買い物の仕方も変わりました。

西区公式サイトでも、かつて日本有数の菓子問屋街として賑わった一方、現在は社会や嗜好の変化によって店舗数が大きく減ったと説明されています。

西区の別の地域紹介でも、かつて地域に点在していた飴、あられ、おこし、ラムネ、キャラメルなどの工場が、時代とともに減っていったことが記録されています。

だからこそ、

今ここに残っている問屋街やメーカーそのものが、名古屋のものづくり文化の一部

なのかもしれません。
駄菓子も「ものづくり文化の道」。
ここで、この連載として一番伝えたいところ。

第2回ではトヨタの織機と自動車。

第3回ではノリタケの陶磁器。

そして今回は、

駄菓子。

並べると、

「駄菓子だけ急にかわいくない?」

と思うかもしれません(笑)。

でも、全部に共通していることがあります。

地域で人が工夫しながらものをつくり、

それを売る人がいて、

さらに別の地域へ届ける人がいる。

そして技術や文化が何世代にもわたって受け継がれてきた。

巨大な自動車工場だけが「名古屋のものづくり」ではない。

一粒のラムネ、一枚の煎餅にも、

この街で続いてきたものづくりの歴史があります。

実際に西区では現在も、菓子メーカーや駄菓子問屋街を歩いて地域の歴史・文化・ものづくりを知るイベントが行われています。

だから僕は、名古屋の駄菓子文化も、

「ものづくり文化の道」を知るうえで欠かせない存在

だと思います。

次に駄菓子を食べるとき、

ちょっとだけ袋の裏を見てみてください。

もしかしたらその一袋、

名古屋から全国へ広がったものづくりの一つかもしれません。

ということで今回は、名古屋の駄菓子文化を紹介しました!

名古屋のものづくり文化の道、もうちょっと知ってかん?

それでは、また次回!アディオス!