福岡県大川市。

 日本一の家具産地として有名どころであり、筑後川に生息するエツを特産品としています。大川市は福岡と佐賀の県境であり、複数の橋が両県を結びつけています。そのなかで福岡と佐賀をつなぐ県境の象徴として有名どころが筑後川昇開橋。H型の赤い鉄格子で組み合わされており、九州で最大規模の筑後川を背景に県民の間では映えるスポットとして名が知られています。


 今回はそんな筑後川昇開橋の歴史と地理的な背景をもとに詳しく見てきました。
 筑後川昇開橋


 ①昇開橋は昔は駅として使われていた

 ・昇開橋は現在は歩道橋として観光名所の役割を担っています。大川市から隣の佐賀県を繋ぐ一本の橋。観光客や地元民の方々が訪れる人気スポットであり、佐賀県まで歩いて渡ることができます。 
 
 歩道として観光名所となっている昇開橋には実は昔、鉄道が走っていました。
 昇開橋の入り口のすぐ横には、その名残として遮断機が設置されています。
 戦後間もなく国鉄の佐賀線として、造られたのが筑後川昇開橋の始まり。福岡と佐賀の境にある筑後川は九州で最大規模。当時は船がなどで渡ることは困難な状況。そこで物資の運搬のために、橋を建て駅として頻繁に鉄道が走っていたそうです。

 レールが敷かれ、鉄道が走っていた場所を、実際に歩いて渡ることができる。タイムスリップをしたかのような感覚で趣を感じます。

 
 また筑後川昇開橋は他の数々の昇開橋の中でも最古であることから、その貴重さゆえに国の登録文化財として登録されています。

 ②昇開橋の魅力スポット「可動橋」

 昇開橋はただ一本道を渡るだけではなく、ある秘密があるんです。橋の真ん中に位置するH型の横線。
 実はその箇所は上下に動く秘密があります。普段は橋と橋の間がすっぽりと抜けた状態になっており仕切られています。下を見ると無論、真ん中が開いている状態なので、筑後川が丸見えの形となります。しかし規定時間になると、訪れた人々のために係員の方が機械を操作し、向こう側の道まで繋げてくれます。

 昇開橋にとって特に一押しのスポット。吹き抜けの橋が降りてくる状況を間近で見れるここでしかない体験。ぜひ一度訪れてみてください。


 筑後川や筑後川昇開橋の歴史について詳しく知りたいという方にはこちらもおすすめです。徒歩圏内で、すぐに大きな水門と電波塔が天井に隣接する2階建ての建物が見えてきます。

 上記の写真。名称は花宗水門といいます。

 ・水門とはなにか

 名のとおりに河川を横断するような形で設置されている開閉式のゲート。水の流れや水位を調節・制御する役割を担う重要な施設です。

 特にこの花宗水門は高潮や洪水の被害を軽減する役割を担っています。筑後川は九州最大の河川として、洪水や高潮が起きたら甚大な被害を被ります。そのため、災害が起きたときに迅速な対応ができるように、日々市民の安全を守る重要な施設になっています。また、筑後川に隣接する花宗側では、船舶が行き来するために、水門に船通しの箇所を設置するなど、様々な工夫も見受けられます。こちらの花宗水門も間近で見ることができますので、水門の構造を詳しく見ることも可能です。ぜひ立ち寄って見てはいかがでしょうか。

 2階建ての電波塔が建つ施設。こちらは高潮防災センター「はなむね」

 ここでは筑後川の歴史や当時鉄道が走っていた頃の筑後川昇開橋の様子を写真や経緯パネルで展示されてあります。


  ③当時の筑後川は相当な荒くれ者だった?


 一階の展示コーナーで、筑後川の歴史を辿ると当時の筑後川は相当な厄介川として市民の生活を苦難にさせていました。昔の筑後川は度重なる氾濫により、大勢の犠牲者や甚大な被害を蒙ってきました。
    

 なんと江戸時代以前は年間183回も洪水が発生していたもよう


 また筑後川は有明海に隣接するため、干満差が激しい特徴をもつ有明海では、下流の筑後川区域は高潮がたびたび起こっていたそう。  
 
 そのため現在ではこの「はなむね」と呼ばれる高潮防災センターの2階では、災害が発生すると花宗水門を適切に操作し、いち早く被害を最小限に抑えています。

 では現代のような技術がない昔の人々は、筑後川の性質を踏まえどのような生活の工夫をしていたのか。
  
 
 筑後川では漁業が盛んに行われ、船などが活発に行き交う当時。
 そんな中、有明海特有のガタ土(土の繊維が細かく水分を多く含む土で足を入れる深く沈み込む)で大型船の渡航の妨げとなっていました。
 「デ・レイケ導流堤」の設置に秘密は隠されています。筑後川の中央に一本の道となるように上記のような木を土台として石畳状に作り、川幅を狭め流れを速くして水深を底上げする。

 これにより大型船も通過できる筑後川の構造を踏まえて設置された、オランダ技術を搭載した木造構造物。


 コンクリートや最新技術を使って物資や技術に困らない今でこそ、先人たちの知恵は偉大なものだと伺えます。当時の船も木造中心だった時代。自然界にあるもので補いつつ、海外の技工を取り入れて作り上げた知恵の結晶と言えます。
  
 (まとめ)

 ここまで筑後川昇開橋や花宗水門、防災センター「はなむね」などを見てきました。一貫して言えることは、当時の時代は筑後川を通しての水難が大きなキーワードとなっていることです。漁業により多くの資源を得られ、経済的に発展を遂げる。その一方では度重なる自然の脅威に人々はどのように試行錯誤を繰り返し、現代まで繋げて行ったのか。過去を知り、現代の形として防水センターや水門などの最新技術を搭載し、自然の脅威とともに共存していく力を詳しく見て取れた貴重な機会でした。
 
 (備考)
 詳細は各項目のキーワードから公式ホームページよりご確認ください。