筑後川沿岸部では、過去に漁業や運搬、また工業など、多様な用途で使われていました。また、近接する佐賀県は近代日本の産業や政治においての中心部を担っていた心臓部。その中で、明治日本の産業にあたるある重要な役割を果たした功績を現代に収容する施設。


 佐賀県佐賀市、筑後川付近に建つ「三重津海軍所跡」
 
 主に日本を近代化に推し進めるための、造船の礎となった施設の跡地。
 
 今回はそんな近代日本の推進に貢献した三重津海軍所跡の実績や、そこに携わった人物を詳しく見てきました。

 ①三重津海軍所とは一体

 近代日本の大きな原動力となった九州・山口を中心とする時代。明治維新後、海外の発展した技術を取り入れ、より日本を近代化に推し進めるのが日本政府の大きな目標となっていました。そんな中、佐賀藩では近代技術を投影し近接する長崎との警備強化も図っていました。
 
 次第に蒸気機関や製鉄、造船の技術も進み、海軍技術に焦点を当て、知識を取り入れ習得させるために藩船を管理していた(当時三重津にて)場所に稽古所を設置したのが「三重津海軍所」の始まり。

 この場所を起点とし,海軍が西洋技術を習得する稽古所だけでなく、船の修理や建造として主に海軍施設として「三重津海軍所」が創設されました。
 一階の展示室では明治の日本産業の発展を製鉄・製銅、造船、石炭の分類に区分されています。当時、これらの資源や技術を使い、いかに功績を挙げてきたのかが詳細に壁掛けパネルで閲覧できます。

 日本を近代化に進めるために、海外への渡来、さらに物資の調達や今で言う輸入輸出の貿易など、他方の面で海を制することが日本の近代化への一歩に繋がったと当時の様子から見受けられます。
 
 三重津海軍所では、海岸の筑後川付近で、船の修理や建造など、いわば船の管理する船屋があったことからも、近代日本に欠かせい重要な施設の一部と言えます。
 ②日本最古のドライドックとは?
 長崎が他国との貿易関係が盛んだった頃。当時の佐賀藩は長崎防衛のために湾に砲台を設置していました。攻め込まれる際の完全柵のような役割ですね。

 欧米列強の発達した技術に対する脅威から、日本も西洋の技術を取り入れ、他国との技術格差を縮めようと、様々な科学技術による重工業や施設、設備が導入されました。

 その一例として、三重津の伝統的工法で、日本初の蒸気船「凌風丸」を建造しました。その際にもドライドックという技法が活用されました。


 「ドライドック」とは、洋式船の建設の補助・修理を担う三重津海軍近辺の筑後川海岸沿いで設置された設備のこと。石やレンガなどの鉱物などを使わずに、木と土のみ、原始的な資源を使用。複雑な部材の組み合わせを用いて、崩落を防ぐ。西洋式のドックを基準にし、工夫を凝らした使用となっています。日本在来の土木技術で建設を進めました。加工された石やレンガではなく、自然にあるもので代用する発想は、知恵や当時の先人たちの苦難や想像力が見て取れます。


 ◯ドライドックの仕組みについて
 
 地面に船が入る程度の枠決めと穴を掘り、有明海特有の干満差を利用します。当時は大型の船は容易に動かすことはできませんでした。

 その際、以下の手順で船の修理を行なっていました。

 1.満潮などでドックに船を入れる
 2.門を閉める
 3.ドック内の水を抜く
 4.船を台の上に乗せて、船底を修理する
 5.注水して船を浮かせ、外へ出す

 
 この工程を当時は繰り返していたそうです。
 自然の力をうまく活用して、大型の船を傷つけないようにする、緻密な現場であったとも言えます。

 ドライドックによって、船の修復が行われた場所は、今は埋め立て地となっていますが、修復された規模は広大であったと考えられますね。

 ③近代産業や医療、他方の面で活躍した佐野常民の躍進


 佐野常民は佐賀出身の実業家。
 都市(現在の江戸)で医学を学び、佐賀藩で技術者たちとともに蒸気機関の研究を行なっていた佐野。様々な面で勉学に励んでいた博愛主義者だと言えます。蒸気船の発注などを業務とし海軍創設、洋式灯台建設の推進など、近代日本の発展に大きく貢献。

 その中で特に目を引くものが、日本赤十字の創設者であることです。明治時代に、西南戦争が勃発した際、多数の犠牲者が出ました。「敵味方の差別なく」という文言の元、負傷者があるならば救護する組織の必要生を謳いました。その言葉通り、一度は政府に却下を下されますが、佐野の強い意志が実り、博愛社を日本赤十字社と改ざん。初代社長に赴任したあと、赤十字促進とともに、負傷者の救助に尽力した、最前線の医療の代表的な一人となりました。

 日本産業だけでなく、医療の道を切り開き、数々の苦難をかたちにしてきた佐野。
 医学の勉強での知識や経験が、日本赤十字の誕生のきっかけになる。学ぶことによって、意外な道を切り開くことも多々あると思います。学ぶ姿勢でい続けることは、いずれ将来的に役立つ機会があるかもしれない、だからこそ学び続ける大切さも考えさせられます。
 本館の2階には赤十字設立者の佐野常民の経歴ととともに、現在の赤十字の活動が展示されてあります。ぜひ、お立ち寄りください。

 3階は展望室となり、吹き抜けの広い空間になっています。正面にはドライドックの技法で、船の修理が行われた埋め立て地が広がります。その奥には九州最大の河川、筑後川。外にも立て掛けパネルでドライドックの仕組みやれきしなどが閲覧可能です。
 
 (まとめ)
 近代日本の発展に貢献した三重津海軍所。主に船の修理・管理を担い、その際に先人たちの苦難と工夫が、今の日本産業の基盤となっています。現代のようなAIや科学技術なとがない、一から日本の発展に貢献してきた数々の人の底力や思い。その思いがバトンとなり、我々の生活の豊かさに繋がっているのだと、考え深い気持ちになりました。
 
 (詳細)
 三重津海軍所跡は無料閲覧と、閲覧料をする部屋が分かれています。詳しくは三重津海軍所跡のホームページより、詳細をご確認ください。