富山県富山市の中心部にある富山城。以前からその存在は知っていましたが、今回、初めて城の中に入って見学してきました。
現在の富山城は、かつての城郭そのものが残っているわけではありません。明治維新後に城は取り壊されましたが、戦後の復興事業の一環として、1954(昭和29)年に開催された富山産業大博覧会で天守の姿が復元されました。現在は、富山市郷土博物館として活用されています。
実際に訪れてみると、建物の外観だけでなく、館内の歴史展示も興味深いものでした。なかでも印象に残ったのが、戦国時代の富山をめぐる勢力争いです。
現在の富山城は、かつての城郭そのものが残っているわけではありません。明治維新後に城は取り壊されましたが、戦後の復興事業の一環として、1954(昭和29)年に開催された富山産業大博覧会で天守の姿が復元されました。現在は、富山市郷土博物館として活用されています。
実際に訪れてみると、建物の外観だけでなく、館内の歴史展示も興味深いものでした。なかでも印象に残ったのが、戦国時代の富山をめぐる勢力争いです。
戦後の復興の象徴としてよみがえった富山城
富山城の歴史を知るうえで、まず押さえておきたいのが、現在の天守が復元された経緯です。
1945(昭和20)年8月2日の富山大空襲によって、富山市街は壊滅的な被害を受けました。その後、街の復興が進み、1954年には復興事業の完了を記念する富山産業大博覧会が開催されます。
その際に復元されたのが富山城の天守です。博覧会のために復元された建物が、現在も博物館として活用されているのです。
お城というと、戦国時代から建物がそのまま残っているイメージを持つ方もいるかもしれません。しかし、富山城は戦後の復興の歴史とも深く結びついています。
1945(昭和20)年8月2日の富山大空襲によって、富山市街は壊滅的な被害を受けました。その後、街の復興が進み、1954年には復興事業の完了を記念する富山産業大博覧会が開催されます。
その際に復元されたのが富山城の天守です。博覧会のために復元された建物が、現在も博物館として活用されているのです。
お城というと、戦国時代から建物がそのまま残っているイメージを持つ方もいるかもしれません。しかし、富山城は戦後の復興の歴史とも深く結びついています。
神保長職から佐々成政へ。富山をめぐる戦国時代の勢力争い
館内の展示で興味を引かれたのが、富山城をめぐる戦国時代の勢力争いです。
富山城は1543年頃、神保長職によって築かれました。当時の越中では、神保氏と椎名氏が勢力を争っていましたが、1560年には上杉謙信の軍勢が富山城を攻め、長職は増山城へ退きます。その後も上杉氏や一向一揆などとの攻防が続き、富山城の支配者はめまぐるしく変わりました。
さらに興味深いのが、長職の嫡子・神保長住の存在です。長住は父と対立して織田信長に接近し、1578年に上杉謙信が亡くなると、織田方の支援を受けて富山城に入りました。
その後、織田信長の家臣・佐々成政が越中支配を担うようになります。成政は富山城を拠点として勢力を広げましたが、1585年に豊臣秀吉が越中へ攻め入ると降伏し、富山城は破却されました。
こうして見ていくと、富山城の歴史は、天下の情勢が変わるなかで城主が入れ替わり複雑だったことがわかります。
富山城は1543年頃、神保長職によって築かれました。当時の越中では、神保氏と椎名氏が勢力を争っていましたが、1560年には上杉謙信の軍勢が富山城を攻め、長職は増山城へ退きます。その後も上杉氏や一向一揆などとの攻防が続き、富山城の支配者はめまぐるしく変わりました。
さらに興味深いのが、長職の嫡子・神保長住の存在です。長住は父と対立して織田信長に接近し、1578年に上杉謙信が亡くなると、織田方の支援を受けて富山城に入りました。
その後、織田信長の家臣・佐々成政が越中支配を担うようになります。成政は富山城を拠点として勢力を広げましたが、1585年に豊臣秀吉が越中へ攻め入ると降伏し、富山城は破却されました。
こうして見ていくと、富山城の歴史は、天下の情勢が変わるなかで城主が入れ替わり複雑だったことがわかります。
富山城を訪れて、能登の歴史がつながった
今回、富山城を見学していて、個人的に大きな発見がありました。
以前から気になっていたのが、輪島の御陣乗太鼓にまつわる伝承です。上杉謙信の軍勢を退けたという話を聞くたびに、ひとつ疑問に思っていました。
上杉氏の本拠地は越後、現在の新潟県です。輪島までの距離を考えると、どうして上杉氏の軍勢が能登まで進出できたのだろう、と不思議に感じていたのです。
ところが、今回、富山城を拠点とした武将たちと上杉氏との関係を知り、地図で周辺の勢力図を確認したことで、ようやく自分のなかで歴史がつながりました。
富山は、越後と能登を考えるうえでも重要な地域だったのです。
もちろん、御陣乗太鼓の伝承と戦国時代の具体的な軍事行動については、別途史料を確認する必要があります。それでも、富山の歴史を知ることで、これまで別々に見ていた能登の伝承を、広い地域の歴史のなかで考えられるようになりました。
こうした発見があるから、歴史のある場所を実際に訪れるのは面白いのだと思います。
以前から気になっていたのが、輪島の御陣乗太鼓にまつわる伝承です。上杉謙信の軍勢を退けたという話を聞くたびに、ひとつ疑問に思っていました。
上杉氏の本拠地は越後、現在の新潟県です。輪島までの距離を考えると、どうして上杉氏の軍勢が能登まで進出できたのだろう、と不思議に感じていたのです。
ところが、今回、富山城を拠点とした武将たちと上杉氏との関係を知り、地図で周辺の勢力図を確認したことで、ようやく自分のなかで歴史がつながりました。
富山は、越後と能登を考えるうえでも重要な地域だったのです。
もちろん、御陣乗太鼓の伝承と戦国時代の具体的な軍事行動については、別途史料を確認する必要があります。それでも、富山の歴史を知ることで、これまで別々に見ていた能登の伝承を、広い地域の歴史のなかで考えられるようになりました。
こうした発見があるから、歴史のある場所を実際に訪れるのは面白いのだと思います。
富山の街を歩く前に、歴史を知る楽しみ
今回、初めて入った富山城。見学を通して、戦国時代の富山が周辺地域の勢力争いのなかで重要な位置にあったことを知りました。また、現在の天守が戦後の復興のなかで復元された建物だということも、現地で改めて知ることができました。
歴史は、年号や武将の名前を覚えるだけでは、なかなか実感しにくいものです。しかし、現地の展示や地図を見ながら考えると、遠く離れた地域の出来事がつながり、理解が深まることがあります。
富山城は、富山の歴史を知るだけでなく、越後や能登、加賀との関係を考えるきっかけにもなる場所でした。
天守の外に出たら、石垣にも注目してみてください。大きさや形の異なる石が組み合わされ、角の部分には大きな石が積まれています。白い壁と石垣のコントラストも美しく、青空の下で眺めると、その重厚さが際立ちます。
富山市内を訪れる機会があれば、街歩きの途中に立ち寄ってみてください!
歴史は、年号や武将の名前を覚えるだけでは、なかなか実感しにくいものです。しかし、現地の展示や地図を見ながら考えると、遠く離れた地域の出来事がつながり、理解が深まることがあります。
富山城は、富山の歴史を知るだけでなく、越後や能登、加賀との関係を考えるきっかけにもなる場所でした。
天守の外に出たら、石垣にも注目してみてください。大きさや形の異なる石が組み合わされ、角の部分には大きな石が積まれています。白い壁と石垣のコントラストも美しく、青空の下で眺めると、その重厚さが際立ちます。
富山市内を訪れる機会があれば、街歩きの途中に立ち寄ってみてください!












