2026年2月。珠洲の現状をこの目で確かめたくて、見附島周辺と須須神社を訪れました。
見附島の近くにある宝湯へ向かうと、周囲は驚くほど静かで、かつて家が立ち並んでいた場所は更地になっていました。公費解体が進み、倒壊した家屋はほとんど撤去されています。地震直後の面影をとどめていたのは、わずかに傾いたままの電柱。時間は進んでいるのに、あの日の記憶だけがそこに残っているようでした。
須須神社にも足を運びました。須須神社の詳細は、https://camp-fire.jp/projects/737937/viewより引用させていただきます。
須須(すず)神社とは?
須須神社は、第十代崇神天皇(約2100年前)に、能登半島最北端の山伏山(鈴ヶ嶽)に創建され、天平勝宝年間(約1200年前)に現在地に遷座したとされています。国史「三代実録」や「延喜式」にも記述されており、源義経や弁慶の伝説もいい伝えられております。江戸時代には加賀藩前田家の御祈願所とされておりました。高座宮と金分宮をあわせて須須神社と申します。
須須神社は、第十代崇神天皇(約2100年前)に、能登半島最北端の山伏山(鈴ヶ嶽)に創建され、天平勝宝年間(約1200年前)に現在地に遷座したとされています。国史「三代実録」や「延喜式」にも記述されており、源義経や弁慶の伝説もいい伝えられております。江戸時代には加賀藩前田家の御祈願所とされておりました。高座宮と金分宮をあわせて須須神社と申します。
鳥居の前に立つ大きな灯籠は、いまも崩れたまま。その先に広がる海を見つめると、ここまで津波が押し寄せた現実が胸に迫ります。
一方で、相川七瀬さんが植樹した松は、変わらず凛と立っていました。その姿に、確かな“いま”を感じます。
境内はクラウドファンディングで集まった支援によって再建が進んでいましたが、手水舎はまだ倒れたまま。復興は道半ばです。
それでも、御朱印とお守りを受け取り、静かに手を合わせました。
失われたものの大きさと、支え合う力の両方を感じた一日でした。












