皆さんは古賀政男という人物を耳にしたことはありますか。
昭和の作曲家として代表的な人物の一人で、日本レコード賞や国民栄誉賞など彼の後世に与えた功績は計り知れません。
これまで数々の昭和の歌手たちの作曲を手がけ、日本の歌謡曲や演歌の基盤を築き上げた音楽界のスター。
では古賀政男が音楽界に影響を与えた凄さとは具体的になにか。
後世まで彼の作曲が愛された背景には一体どんな過去をもち、作曲に対してどのような想いを込めていたのか。
今回は古賀政男の功績を称え設立された、古賀政男記念展に足を運びました。
記念展では主に3つのくくりに分けられています。
1.年表や資料展示、楽器(ギター)など当時使われていた貴重なものまで
2. 古賀政男が手がけた作曲を実際に鑑賞することができる体験型スポット
3.古賀政男の生家を復元した家屋に見てまわれる古賀政男記念展の中でも特に一押しのスポット
その1 古賀政男ってどんな人物?音楽界にどんな影響を及ぼしたのかなど経歴や功績
古賀政男は幼少期福岡県大川市で生まれ育ちました。
当時は日露戦争が勃発し、戦争時代の中、彼の人生は始まりました。
明治大学を卒業したあと、彼はその才を認められレコード会社の専属の作曲家として迎えられました。
のちに、多くの曲を手がけ、数々の名曲を世に生み出してきました。
また、昭和の歌手、例を挙げるなら美空ひばりや藤山一郎など、昭和のスターたちの作曲を手がけてきました。
没後、音楽家として、初めての国民栄誉賞を受賞するなど、彼の音楽界での存在は計り知れないものだと伺えます。
古賀政男がなぜここまでの影響力を持ち、音楽界に激震を与えてきたのか。それはただ音楽に才能があったから、自然的にここまで歩んできたわけではありません。
彼の音楽家としての人生ではなく、彼自身の生涯は過酷なものでした。
その背景には「戦争」という大きなキーワードがあります。
その2 古賀政男の作曲はなにを訴えかけていたのか、彼が曲を作る想いとは
古賀政男は自身の曲を数々の有名な歌手たちに提供をしてきました。
記念展では当時提供された曲を聴くことができます。
藤山一郎の酒は涙か溜息か
美空ひばりの娘船頭さん
など、およそ4000から5000曲にまで及ぶと言われています。
その背景にはキーワードである「戦争」が彼の曲作りに反映していると思います。
当時、日露、第二次、太平洋戦争が勃発する、まさに戦争の時代。
悲惨な時代に、当たり前の日常生活は無縁とも言える。だが、その不条理な世に対する、叫びやそれでも生き続ける想いを当時の戦争という不条理に対して訴えかけているようなメロディーや作詞が綴られていると実際に聴いてみて実感しました。
その3. 古賀政男の生家
古賀政男の故郷は福岡の大川市。家具が有名で日本有数の家具産地としても有名。
古賀政男の生家を復元した小さな茅葺屋根の家。
記念展の奥に進む少し離れに建っています。
まるで、古賀政男の幼少期時代を思い出させる懐かしさのある雰囲気、特に一押しのスポットです。
木造建築で障子や、2階に上がるための階段は急で幅も狭い。
また2階に上がると屋根との高さが狭く、現代にタイムスリップしたような不思議な感覚に浸れます。
当時使っていたお茶碗や竈門。
木箱や桐箪笥など、家具産地大川ならではの結びつきも伺えます。
幼少期に過ごした古賀政男の思い出の地に訪れることができる、記念展でも特に注目してもらいたいスポットの一つとして、ぜひ訪れてみてください。
古賀政男が音楽業界に与えた影響には、彼の手がけた作曲が有名歌手によって歌われ、初めて成立する貴重な体験をこの記念展で学び、感じることができます。
彼の音楽に注いだ生涯は潜在的才能という一言で片付けていいものではありません。
当時の時代背景で、理不尽で不条理な出来事が積み重なり、彼の心にも深く影響を与えました。
しかし、そんな時代であっても、くじけず、ただひたむきに音楽に向き合い続けた。一つでも多く人々の心に音楽を届けたい、古賀政男という人物はここにいたという証明にもなる強い想いが後世まで彼の功績を残している。
そんな古賀政男のメッセージを体現した作曲やメロディーは、今の時代にも残り、次の世代にバトンを繋げていく。
音楽業界のみならず、人の想いは決して途絶えるものではないと、記念展を通して貴重な時間を過ごせました。
福岡県大川市「古賀政男記念展」と検索でホームページより入館料、開館時間等が書かれてあります。
詳細はそちらをご覧ください。
休館日は毎週の月曜(祝日の場合は翌日)となっておりますので、ご確認のほどよろしくお願いいたします。












