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大阪・西天満の『蕎麦らうんじ 東山』 ― 蕎麦を自ら学び、打ち続ける日常
グルメ
大阪府・西天満
大阪市北区西天満にある「蕎麦らうんじ 東山」は、手打ち蕎麦を中心に、酒や料理もゆっくり楽しめる店として営業している。
店を営む東山さんは、2017年に55歳で開業した。現在も蕎麦打ちから仕込み、仕入れ、昼と夜の営業まで、一日の仕事を自ら担っている。
店を営む東山さんは、2017年に55歳で開業した。現在も蕎麦打ちから仕込み、仕入れ、昼と夜の営業まで、一日の仕事を自ら担っている。
一日は午前10時前の出勤から始まる。まずその日の蕎麦を打ち、小鉢や日替わりの魚料理を仕込み、11時からランチ営業を始める。
昼の営業を終えると片付けを済ませ、ほぼ毎日天満市場へ仕入れに向かい、夜の営業に備える。
ランチでは、場所柄、弁護士や税理士、近隣で働く人などが多く訪れる。
ランチでは、場所柄、弁護士や税理士、近隣で働く人などが多く訪れる。
店名の「らうんじ」は、蕎麦を食べるだけでなく、ゆっくりくつろいでもらいたいという思いから付けたという。
ランチタイムでも基本的に相席は行わず、落ち着いて過ごせる空間づくりを大切にしている。
「お客さんに一番はくつろいでいただきたい、リラックスしていただきたい。そういう雰囲気をいかに作るかっていうところですね」
ランチタイムでも基本的に相席は行わず、落ち着いて過ごせる空間づくりを大切にしている。
「お客さんに一番はくつろいでいただきたい、リラックスしていただきたい。そういう雰囲気をいかに作るかっていうところですね」
現在は蕎麦屋を営んでいる東山さんだが、開業前は長年IT企業で働いていた。
東山さんは京都府舞鶴市の出身である。子どもの頃からものづくりに興味があり、舞鶴工業高等専門学校へ進学した。
入社後しばらくは、製鉄工場の管理システム、気象、鉄道、ビル、リゾート、空港など、さまざまな分野のシステムに関わった。
蕎麦との出会いは、その会社員時代にあった。
東京勤務中の慰安旅行で群馬県を訪れ、旅行先の体験として蕎麦打ちをしたことがきっかけだった。
東山さんは京都府舞鶴市の出身である。子どもの頃からものづくりに興味があり、舞鶴工業高等専門学校へ進学した。
高専では電気工学を学び、授業で触れたコンピューターやプログラミングに興味を持ったことから、卒業後は大阪のIT企業へ入社した。
入社後しばらくは、製鉄工場の管理システム、気象、鉄道、ビル、リゾート、空港など、さまざまな分野のシステムに関わった。
その後、医療システム部へ異動し、健康診断関係のシステムを中心に、提案やプレゼンテーション、システムの基本設計などを担当した。
担当した健康管理システムが実際に医療機関で使われ、評価を受けたことは印象に残っているという。
会社員時代には、大阪本社勤務と東京支社勤務を経験した。東京勤務は二度あり、合計で約10年ほどになる。
会社員時代には、大阪本社勤務と東京支社勤務を経験した。東京勤務は二度あり、合計で約10年ほどになる。
全国を担当していたため、出張も多く、47都道府県を訪れた。
出張の主な目的は、自社システムのプレゼンテーションだった。
東京勤務中の慰安旅行で群馬県を訪れ、旅行先の体験として蕎麦打ちをしたことがきっかけだった。
30代半ばから後半のころである。
「その時初めて蕎麦打ちの奥深さっていうのを感じました」
自分で打った蕎麦をその場で食べた時、東山さんはそれを「生涯食べた蕎麦の中で一番美味しい」と感じたという。その体験をきっかけに、蕎麦への関心はさらに深まっていった。
出張の多い仕事は、蕎麦を学ぶ機会にもなった。各地を訪れる中で、その土地ごとの蕎麦や蕎麦粉に関心を持ち、時間があれば蕎麦屋や蕎麦粉屋を訪ねた。
当初は蕎麦屋で話を聞こうとしたが、詳しいことを教えてもらうのは難しかったという。その後、蕎麦粉屋の方が親身に教えてくれることを知り、製粉所を訪ねるようになった。
現在店で使っている蕎麦粉も、その中で出会った栃木県の製粉所から仕入れている。扱っているのは北海道産の蕎麦粉が基本で、東山さんは長く同じ蕎麦粉を使い続けている。
「自分の口に一番合うものを選択するんです。もうそれ一択です」
蕎麦打ちについては、正式な弟子入りではなく、各地で見聞きしたことをもとに独学で身につけてきた。
全国の蕎麦を見て、良いと思ったものを取り入れながら、自分なりの形を作ってきたという。
蕎麦打ちの工程の中で、東山さんが特に難しいと話すのが「水回し」である。
「その時初めて蕎麦打ちの奥深さっていうのを感じました」
自分で打った蕎麦をその場で食べた時、東山さんはそれを「生涯食べた蕎麦の中で一番美味しい」と感じたという。その体験をきっかけに、蕎麦への関心はさらに深まっていった。
出張の多い仕事は、蕎麦を学ぶ機会にもなった。各地を訪れる中で、その土地ごとの蕎麦や蕎麦粉に関心を持ち、時間があれば蕎麦屋や蕎麦粉屋を訪ねた。
当初は蕎麦屋で話を聞こうとしたが、詳しいことを教えてもらうのは難しかったという。その後、蕎麦粉屋の方が親身に教えてくれることを知り、製粉所を訪ねるようになった。
現在店で使っている蕎麦粉も、その中で出会った栃木県の製粉所から仕入れている。扱っているのは北海道産の蕎麦粉が基本で、東山さんは長く同じ蕎麦粉を使い続けている。
「自分の口に一番合うものを選択するんです。もうそれ一択です」
蕎麦打ちについては、正式な弟子入りではなく、各地で見聞きしたことをもとに独学で身につけてきた。
全国の蕎麦を見て、良いと思ったものを取り入れながら、自分なりの形を作ってきたという。
蕎麦打ちの工程の中で、東山さんが特に難しいと話すのが「水回し」である。
蕎麦粉に水を入れて混ぜる最初の工程だ。伸ばしや切りは、仕上がりが目に見える。
一方で、水回しは、うまく混ざっているかどうかの正解が見えにくい。
何度も繰り返す中で、感覚を身につけていった。
店では現在も、予約が入れば蕎麦打ち体験会を行っている。
東山さん自身が蕎麦に興味を持ったきっかけも蕎麦打ち体験だったため、同じように蕎麦打ちに触れる場所を広げたいという思いがある。
参加者は30代、40代の人も多く、料理経験の有無にかかわらず、実際にやってみるまで向き不向きは分からないという。
もともと飲み食いが好きで、人とのコミュニケーションが取れる仕事に関心があった。その後、蕎麦への興味が深まり、蕎麦屋という形につながっていった。
会社を退職した直接のきっかけは、母親の介護だった。東京勤務中、横浜にいた母親の体調や生活の状況から、たびたび様子を見に行く必要が生じた。
出張先から戻らなければならないこともあり、仕事を続けることが難しくなった。54歳で退職し、母親とともに京都府舞鶴市の実家へ戻った。
舞鶴での生活は半年ほど続いた。
はじめは仕事をせず、母親と過ごす時間が中心だった。母親の状態が少しずつ落ち着いてくると、以前から考えていた飲食店の開業を、予定より早めて進めることにした。
母親とともに大阪へ生活の拠点を移し、開業に向けて物件探しを始めた。
店を出す場所として探したのは、大阪市内のJR東西線沿線だった。
西は新福島から東は南森町あたりまでの範囲で物件を探し、立地や家賃などの条件が合った現在の場所に決めた。
物件はスケルトンの状態で、内装から一から考える必要があったが、東山さんはそれを負担というよりも、自分の好きなように作れる機会として受け止めた。
「苦労ね。特に何もワクワク感とか楽しみ感が先立って、その苦労したっていう印象があまりないですね」
開業後は店の営業を続ける一方で、母親との暮らしも続いている。
現在、東山さんは大阪市内の千船周辺で母親と同居している。通勤は阪神電車で梅田まで出て、そこから徒歩で店へ向かう。
南森町で店を続ける中で、地域との関わりも生まれている。
現在、東山さんは大阪市内の千船周辺で母親と同居している。通勤は阪神電車で梅田まで出て、そこから徒歩で店へ向かう。
休日は日曜日で、母親をスーパー銭湯へ連れて行くことと、店の買い物をすることが毎週の習慣になっている。日曜日には母親と昼食、夕食をともにする。
南森町で店を続ける中で、地域との関わりも生まれている。
昼の仕入れの後、時間がある時に立ち寄るようになったのが、天神橋筋商店街にある酒店「明昭屋」だった。
友人の紹介で訪れて以来、昼休憩の時間に通うようになり、近隣の飲食店関係者や常連客との交流が広がった。
明昭屋の店主によると、東山さんが通うようになったのはコロナ禍の前、6年ほど前からだという。
月曜から金曜はほぼ毎日、昼休憩の時間帯に訪れる。話題は阪神タイガースのことや競馬のことが多く、休日に一緒に飲みに行くこともある。
明昭屋の店主によると、東山さんが通うようになったのはコロナ禍の前、6年ほど前からだという。
月曜から金曜はほぼ毎日、昼休憩の時間帯に訪れる。話題は阪神タイガースのことや競馬のことが多く、休日に一緒に飲みに行くこともある。
こうした交流を重ねる中で、東山さん自身もこの街への印象が少しずつ深まっていった。
東山さんは、南森町界隈について、思っていた以上に商売の街だと感じている。
天神橋筋商店街の存在もあり、昔ながらの商売人が多い街だという印象を持っている。店を始める前にはなかった人とのつながりが、今の暮らしの一部になっている。
これからについては、現在の店を続けながら、任せられる人を育て、可能であれば二店舗目を出すことも考えている。さらに将来的には、都会ではない落ち着いた場所で、細く蕎麦屋を続けることにも関心がある。
東山さんが店を続けている理由は、明確である。
「仕事が楽しいからですね」
天神橋筋商店街の存在もあり、昔ながらの商売人が多い街だという印象を持っている。店を始める前にはなかった人とのつながりが、今の暮らしの一部になっている。
これからについては、現在の店を続けながら、任せられる人を育て、可能であれば二店舗目を出すことも考えている。さらに将来的には、都会ではない落ち着いた場所で、細く蕎麦屋を続けることにも関心がある。
東山さんが店を続けている理由は、明確である。
「仕事が楽しいからですね」
大阪・西天満の地下にある「蕎麦らうんじ 東山」では、毎日の蕎麦打ちと仕込み、仕入れ、営業が繰り返されている。
会社員として全国を回りながら蕎麦を学び、介護をきっかけに開業へ踏み出した東山さんは、今もこの場所で手打ち蕎麦の店を営み続けている。
会社員として全国を回りながら蕎麦を学び、介護をきっかけに開業へ踏み出した東山さんは、今もこの場所で手打ち蕎麦の店を営み続けている。
FreeLife Colors メディア事務局
掲載日:2026-06-19
更新日:2026-06-19
更新日:2026-06-19












