今回は山梨英和中学校の近くにある「愛宕神社(あたごじんじゃ)」をご紹介します。
あまり資料がない神社ですが、明治期より前は「愛宕権現(社)」「愛宕勝軍(大)権現」「愛宕勝軍地蔵権現」と呼ばれていたようです。字からしても、戦(いくさ)での勝利を祈願した神社だということがわかります。結構急な階段でした。
入り口に神社についての看板があります。ここに書かれている「聖道小路(しょうどうこうじ)」とは躑躅ヶ崎の城北にあったところで、武田信親公の屋敷があったところでもあります。躑躅ヶ崎館の鬼門を守護するために相模国愛宕山から持ってきた地蔵菩薩を安置したことが始まりのようです。
のちに徳川家康により現在地に移されました。甲府城が築城されたことにともない、今度は甲府城の鬼門守護のために現在地に移されました。いずれにせよ、守護することを役割とした神社なんですね。
これが参道にあたると思われます。
こちらが本殿です。
本殿を見ている最中、右のほうに何だか訳のわからない縦長の石があるな〜と思ってはいたのですが、適当に流して写真もとりませんでした。が、調べてみると、色々わかりました。拡大した画像を載せます。
どうやらこれは、「お長閑(ちょうかん)さま」と言うようで、元は愛宕山にあった石で災害によりこの神社まで落ちてきてここに祀られたようです。別に下ネタを振りたいわけではないのですが、なんかの形に似ていませんか。
そう、男性器です。こんなことから、下の病気に効果があるんだそうです。本堂の近くにこんな石があるなんて思いもしませんよね。w
最近は滅多しなくなったおみくじを久々に引いてみました。結果は、、、
大吉です!ただ、個人的には裏面の言葉をいつも大事にしています。「神様、御先祖様に感謝」。
去年から戸籍をとって先祖調査と家系図作成をしているのですが、ものすごい人数がいて、思いもよらない場所に縁があったりしてすごく面白いです。こんなにも多くの方の土台があって今の自分がいるのだと思うと、本当に感謝でいっぱいになります。
ちなみに現在だと、江戸時代後期に生まれた方までなら戸籍でたどり着けます。ただ、戸籍は保管年数が決まっている上、人の流動が多い都市だと早々に廃棄されてしまうケースがあるので、もし気になる方はお早めに市役所に行かれるのをお勧めします。私も新宿区にあった戸籍はもう10年近く前に廃棄されてしまっていました。
話は脱線しましたが、不思議とご縁を感じる神社でした。
では、これにて山梨武田史跡巡り〜「鬼門除の守護 愛宕神社」〜は終了とさせていただきます。ご覧いただき、ありがとうございました。