明治から昭和にかけての近代産業の名残を残す「もっこ橋」
「もっこ橋」というのは、白川分水から少し下がったところにある鉄製の一本橋です。この橋には正式な名称がなく、通称として「もっこ橋」と呼ばれています。 「もっこ」とは土砂や農産物などを運ぶ用具のこと。明治時代、この近くに「龍紋氷室」という製氷工場がありました。この製氷工場で氷を保存するのに使うおが屑をもっこに盛り、運ぶための通路として使われたことから「もっこ橋」と呼ばれるようになりました。 製氷工場は1980年(昭和55年)まで稼働し、現在の「ニチレイ」に吸収されました。 もっこ橋の用途も終わりまし