京都市上京区、現在の同志社女子大学今出川キャンパスの敷地内に位置する「二条家邸跡」は、かつて公家の名門・五摂家(ごせっけ)の一つである二条家の本邸があった場所です。

五摂家とは?
五摂家とは、藤原氏の嫡流であり、鎌倉時代以降、摂政・関白といった「摂関(せっかん)」の職を独占した五つの家柄を指します。
その五家とは、近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家。いずれも藤原道長を祖とする名門で、朝廷の中枢を担う特別な地位にありました。
中でも二条家は、九条家から分かれた家系で、文筆や礼法に優れていたことで知られます。
その五家とは、近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家。いずれも藤原道長を祖とする名門で、朝廷の中枢を担う特別な地位にありました。
中でも二条家は、九条家から分かれた家系で、文筆や礼法に優れていたことで知られます。
二条家邸の歴史
二条家の邸宅は、もとは内裏(現在の京都御所)の南側にありましたが、万治4年(1661年)の大火で焼失したことを機に、現在の同志社女子大学の場所へ移転しました。
その後、約200年間にわたりこの地に本邸が存在していました。
その後、約200年間にわたりこの地に本邸が存在していました。
やがて明治時代を迎えると、敷地の西半分は1877年に同志社へ譲渡され、さらに1946年には東半分も取得されて、現在のキャンパスとなりました。
2007年には発掘調査が行われ、礎石建物や砂利道、倉庫、かまど、井戸などの遺構が良好な状態で発見されました。
また、幕末期の庭園の人工池や集水槽も見つかり、当時の邸宅の姿を今に伝えています。
また、幕末期の庭園の人工池や集水槽も見つかり、当時の邸宅の姿を今に伝えています。

現在は、同志社女子大学東門の近くに「二条家邸跡」の石碑と礎石が設置され、訪れる人にその歴史を静かに語りかけています。