かつて、京都の中心に高さ109メートルもの巨大な仏塔がそびえていたことをご存じでしょうか。それが室町時代の将軍・足利義満によって建てられた、相国寺の七重塔です。
この七重塔は、1399年に工事が始まり、およそ10年後の1409年に完成しました。その高さは約109メートル。現在の京都タワーにもせまる高さで、当時としては世界最大級の木造建築でした。
当時の京都には、これほど高い建物は他になく、遠く離れた山の向こうからも見えたといいます。まさに「中世京都のスカイツリー」とも言える存在でした。
では、この塔にはどのような意味があったのでしょうか。
相国寺の七重塔は、宗教的な意義を持つだけでなく、足利義満の権威の象徴でもありました。禅宗の中心寺院である相国寺の象徴として、また、明との外交を意識した「国家の顔」として、この塔は建てられたのです。
しかし、その壮大な姿は長く続きませんでした。1416年、落雷によって焼失してしまいます。その後、何度か再建と消失を繰り返したのち、最終的に再建されることはありませんでした。
現在、この七重塔の跡を伝えるのは、京都市上京区、同志社女子中学校・高校の近くにある「塔ノ段通」に建つ石碑のみです。そこにはなぜか、「西郷隆盛邸跡」や「湯川秀樹の寓居跡」なども併記されていて、まったく異なる時代の歴史が一つの場所に集まって、情報が渋滞しているのが、なんだかおかしい。
塔そのものは残っていませんが、当時の絵巻物や記録により、その姿をうかがい知ることができます。中世の京都に、これほどの塔が建っていたという事実は、日本の建築史や宗教史においても非常に重要な出来事なんだそうです。