京都府福知山市・三和地域に残る籾井城跡は、戦国時代の初期から中期、15世紀後半ごろに築かれたと伝わる中世の山城です。標高は約300メートルで、独立した丘陵の頂上に位置しています。山頂からはふもとの農村地帯を広く見渡すことができ、周囲の山々との位置関係からも、当時の武士たちが防衛を強く意識して築いたことがよくわかります。
籾井城は、丹波の国人領主たちが三和地域を押さえるための拠点として利用していたと考えられています。細川氏・赤井氏・波多野氏などが入り乱れた複雑な情勢にあった丹波国では、こうした山城が地域支配の要として各地に築かれました。
そして籾井城には、興味深い伝承も残されています。織田信長の命を受けて丹波攻略を進めた明智光秀が、この籾井城を攻め落としたという話です。光秀の丹波平定は1575年から1579年にかけて行われ、周辺の城が次々と落城していることから、籾井城もその戦火に巻き込まれたと推測されています。確実な史料は残っていませんが、地域では「光秀に攻められて落城した城」と語り継がれています。
また、落城時の城主として「丹波の青鬼」と呼ばれた籾井教業の名前が挙げられることもあります。教業は勇猛な武将として伝えられており、籾井城を守った人物だという説がありますが、こちらも確定した資料はなく、伝説の域を出ません。ただ、こうした物語が伝えられていること自体が、この城が地域にとって大きな存在であったことを示しています。
現在の籾井城跡には、主郭や曲輪、堀切などの遺構が比較的よく残っており、山城ファンには見ごたえのある場所です。登山道も整備されているため、気軽なハイキングとして訪れるのもおすすめです。静かな山頂に立つと、中世の気配が感じられ、丹波の戦国史がぐっと身近に感じられるかもしれません。






