兵庫県相生市那波本町付近、地元で“孝行井戸”として伝承されている場所。
何気ない静かな住宅地の一角に、ひっそりと残る古井戸があります。

地元では「孝行井戸」と呼ばれ、忠臣蔵四十七士の一人 神崎与五郎(神崎則休) にまつわる逸話が語り継がれています。
井戸そのものは小さく素朴な姿ですが、そこに宿る物語は、忠義と親孝行の精神を象徴する深い輝きを放っています。
母の病を救った“奇跡の水”として記されたこの井戸。
看板によると、
神崎与五郎は赤穂藩の御徒士目付で、四十七士の中でも貧しい身分ながら、藩中随一の孝行者として知られていました。
那波に役宅を与えられ、母と慎ましく暮らしていたある日、母が 不治の眼病 にかかります。

与五郎は毎日、那波荒神山の國光稲荷社に籠り、母の回復を祈願しました。
七日目の夜、突如として御神殿の扉が開き、三光の玉を持つ若い美女と、稲穂を携えた天童が現れたと伝えられています。
そして神託が告げられました。

「赤松の葉を噛み、井戸水で目を洗わせ、塩水を飲ませよ。
されば苦悩去らん。」

与五郎が急ぎ山を下り、井戸水で母の目を洗わせると、母の病は奇跡的に回復したと語られています。このとき使われた水こそが、現在の「孝行井戸」とされています。
井戸は、与五郎が住んでいたとされる那波屋九郎左衛門家(旧表屋)や別宅跡も近くに位置します。
与五郎は元禄14年(1701年)の赤穂藩改易後、この那波の地に移り住み、「那波十景」を詠むなど、俳人としての才能も開花させました。

井戸の周辺には、彼が詠んだ風景が今も残り、
当時の那波の穏やかな海辺の暮らしを想像させてくれます。
孝行井戸は観光地として大きく整備されているわけではありませんが、地域の人々によって大切に守られています。
石組みの井戸は素朴で、訪れるとどこか懐かしい空気が漂い、与五郎の母を思う心がそっと息づいているように感じられます。

忠臣蔵の物語は「忠義」の象徴として語られますが、この井戸はそれに加えて “親への深い愛情” を伝える貴重な史跡です。