山梨県といえば、「富士山」「ほうとう」「ワイン」などが有名かと思いますが、個人的には「武田信玄」の印象が一番強いのではと思っています。


ということで、これからエリアやテーマなどに分けて山梨県の武田史跡を紹介していきたいと思います。


初回のテーマは甲府北エリア。今回はその中でも武田史跡巡りのスタートにふさわしい「武田神社」について紹介していきたいと思います。


武田神社とは、1919年(大正8年)に建てられた甲府市北部に位置する武田信玄公を祀っている神社です。地元では定番の初詣スポット、観光客にも有名な史跡スポットになっています。


この武田神社、もともと信玄公はもちろん、信玄公の父武田信虎(のぶとら)公や息子で四男の武田勝頼(かつより)公が国を治める中心地としていた「躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)」が建てられていた場所にあたります。


躑躅ヶ崎館とは、1519年(永正16年)に武田信虎公が築いたお城です。お城と言っても立派な天守閣を備えたよくイメージされるものではなく、どちらかというと武士のお屋敷に近いものです。

当時の館はこのような構造になっていたようです。凄く大きなお城という感じではないですね。
堀は今でもしっかりと残っています。
鳥居には「武田神社」の文字。
拝殿はなかなかの迫力です。お参りに来ている方も。
拝殿の近くには信玄公がご使用になったという井戸があります。
拝殿を左に進んでいくと信玄公の嫡男武田義信(よしのぶ)公が、今川義元の娘で妻の嶺松院(れいしょういん)との新居とした西曲輪(にしくるわ)があります。曲輪とは、土塁や石垣などで区画された地域のことです。
実はここ西曲輪には、2010年に甲府駅北口に移築・復元された「藤村記念館」という明治時代の建築様式を残す小学校がありました。
西曲輪の南北には「枡形虎口(ますがたこぐち)」という遺跡があります。虎口とは城の出入り口のことです。特に枡形虎口とは敵兵が一度城門を破って侵入してもそこが四方を囲まれるような構造になっているため次の門を敵兵が攻めている間に四方から攻撃をしかけることができる構造になっている入り口のことです。
攻めにくく守りやすい非常によく練られた入り口ですね。この躑躅ヶ崎館は、守りが鉄壁の城というわけではないのでこういったところに気を使うのも納得がいきます。
この虎口は北側よりも南側の方がリアルに感じられる気がします。
南側枡形虎口の石垣は城っぽさが感じられますね。
西曲輪の南側には、「南馬出(みなみうまだし)跡」があります。馬出とは、虎口の前に設けられた防御施設のことです。虎口の前にもう一つ防御施設をもうけて、さらに強固に敵の侵入を防ごうという意図がみられます。

この南馬出、字のごとくその遺構の発掘調査で戦国期当時の馬骨がそっくりと見つかったということです。これはかなり貴重です。
実はメインに載せた武田神社の入り口はこの神社を建てる際に作られた入り口で、躑躅ヶ崎館時代の入り口である「大手門(おおてもん)」は東側にあります。
当時はここから出入りをしていたということになります。
信玄公は自身の家臣たちを城の周辺に住まわせるようにしていたため、神社周辺には家臣の屋敷跡を示す看板が建っています。
この他にも、同じような看板があちらこちらにあるので、宝探しの様に歩き回ってもおもしろそうです。思いも寄らない場所にたっているものもありますよ。
神社の前には小さなお土産屋さんや近年できた史跡館があったりして、ここだけでも充実した時間が過ごせそうです。私はおみやげ屋さんで巨峰のソフトクリームを食べて帰りました。県外の方には巨峰のソフトクリームは珍しいのでは。
今回は史跡巡りとして武田神社をご紹介させていただきましたが、観光目的としてもここは一見の価値あるオススメスポットです。是非、一度訪ねてみてくださいね。
これにて、山梨武田史跡巡り〜甲府北エリア①「武田神社」〜は終了となります。