今回は、前回の積翠寺の裏山にある「要害山城(ようがいさんじょう)」をご紹介します。城と言ってももちろん城跡です。
積翠寺からは徒歩6分なので、積翠寺にきたらぜひこちらまで足をのばしてみることをおすすめします。
入り口にはしっかりと看板があるのでわかりやすいですね。
こちらの絵でおおよそどのような感じになっているのかわかりますので、一応見て行かれる方がいいかと思います。
では、さっそく登っていきましょう。
立て札があるので、道を間違えることもなさそうです。
史跡境界の立て札が見えてから少し進むと、さっそく「竪堀跡(たてぼりあと)」と「土塁(どるい)」が見えてきます。竪堀とは斜面に対して並行に掘られた堀のことです。敵が横移動をする際、堀の底を歩かなければならず、そこで手間取っている敵を攻撃できる狙いがあるとされています。
なんとなく縦に溝が入っているのがうかがえますね。
続いて、歩いていくと門跡(虎口)があります。このお城には主郭部に行くまでに8つの門があります。石垣もしっかりと残っていますね。
しばらくすると、曲輪(くるわ)がいくつも出てきます。曲輪とは武田神社の回でも解説しましたが、区画されたスペースくらいに考えてください。ここには居住用の施設や倉庫、防御施設があったようです。
ここからまだまだ登っていき、ようやく最後の門跡を抜けるといよいよ主郭部になります。
主郭部には信玄公誕生の碑があります。
主郭部を少し歩いていくと、堀切跡に出くわしました。
堀切(ほりきり)とは、一見すると先ほど出てきた竪堀と似ていますがこちらは山の尾根を断ち切る堀です。
本来であれば、山の頂上と頂上をつなぐ尾根をただひたすら進軍していけばあっという間に主郭部に到着できるわけですが、尾根を断ち切る堀切を設けることでそれを食い止めようとしたということですね。
実際には結構な深さがあります。石垣を積んで深さを増しているのは、ここが主郭部のすぐ目の前なので防備強化をしたかったと考えられます。
ここまでくると相当息も切れましたが、やりきった感があってとても爽快でした。
さすがに標高780mということなので、結構な高さまで登ってきたなと感じます。
一つ注意点ですが、私は何も考えていなかったのでコンバースのスニーカーで山に入りましたが、山登りをするのと同じ服装で来られることをおおすすめします。
要害山を登る際、木々から見える甲府盆地にはなかなか圧倒されます。我こそは足腰に自信があるという方もぜひ一度登ってみてください。
これにて、山梨武田史跡巡り〜甲府北エリア③「要害山城」〜は終了となります。