さて、塩山エリアの第2回目にご紹介するのは、前回紹介した菅田天神社から徒歩15分で行ける臨済宗の「向嶽寺(こうがくじ)」になります。
山門の周辺はとても綺麗になっているので、整備工事が行われたのでしょうか。
参道を進んでいくと、、
中門に出会います。
ただこちらからは入れないので、横の通用門から入ります。
ここで改めて臨済宗について簡単に説明すると、鎌倉時代初期に栄西(えいさい)という僧侶により伝えられた「悟り」を重んじる禅宗のことを臨済宗と言います。ここでいう悟りとは「すべての人が己の中にある仏性に気づくこと」です。
禅宗とは、師と弟子が対話の中で気づきを得る緩話禅(かんわぜん)や座って自己をみつめる座禅(ざぜん)を修行の中心とする宗派と考えてください。他の浄土宗や浄土真宗などは念仏を唱えることを中心としています。だいぶ性質が異なりますね。
また、臨済宗には15の派閥のようなものが存在しています。その中でも中心的存在となる寺院のことを本山(ほんざん)といいます。例えば鎌倉の建長寺(けんちょうじ)や円覚寺(えんがくじ)、京都の南禅寺(なんぜんじ)、大徳寺(だいとくじ)、天龍寺(てんりゅうじ)などです。
正直どれも有名すぎるお寺ばかりですが、なんとこの向嶽寺もこの派閥の一つであり、本山なのです。これはかなり格の高いお寺といえそうです。
曇り空のなかでも、こちらの白梅はとても綺麗でした。
ちなみに、以前に紹介した甲府五山は、臨済宗妙心寺(みょうしんじ)派という派閥に属しています。
前置きが長くなりましたが、向嶽寺の説明に入ります。
臨済宗が鎌倉時代に主流となっていく中、向嶽寺は1378年(永和4年)の南北朝時代に、抜隊得勝(ばったいとくしょう)という僧が甲州市塩山竹森の地に建てた草庵(そうあん/草ぶきの小さな家)が始まりです。
そしてこの庵(いおり)で行われる教えに深く帰依していた甲斐国8代目当主武田信成(のぶなり)により塩ノ山が寄進(きしん/土地が寄付されること)されたことで向獄庵を建てました。これが、向獄寺となります。
この「向獄」とは抜隊が富士山に向かって説法する霊夢を見たことに由来すると言われています。
その後、武田家歴代当主から厚い保護を受けたということです。
禅宗らしい雰囲気を感じされてくれる仏殿です。
しかし、1582年(天文10年)、織田信長の甲州征伐により武田家が滅亡したことで徐々に衰退していきました。
江戸時代中期には末寺(まつじ)が続々と離れてしまいます。末寺とは、先ほど出てきた本山の支配下にあるお寺のことです。武家に例えると大名が本山で、家臣が末寺ですね。
修行専一道場のため、庭園や諸堂の拝観は行っていないようです。「向獄寺専門道場」と書いてあります。
あくまで、関係者のみの参拝ということになるのでしょうか。
今回私が中を見て回っていても何も言われることはなかったので正直大丈夫なのかなと思います。w
臨済宗のこんなにも格式あるお寺が山梨にあるとは、なんだかとても嬉しかったです。
個人的にここのお寺の波動は、自分に合っているような感覚を覚えました。
では、これにて山梨武田史跡巡り〜塩山エリア②「向嶽寺」〜は終了です。