今回は、武田家の氏神となった「府中八幡神社(ふちゅうはちまんじんじゃ)」をご紹介します。
この神社の始まりは、「国衙(こくが)八幡宮」、現在の「石和(いさわ)八幡宮」と言われています。この国衙八幡宮は、前に紹介した武田信義公の後を継いだ五男「石和信光(のぶみつ)公」が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請(かんじょう)したのが始まりです。勧請は以前にも出てきましたが、神仏に分身・分霊を他の地に移して祭ることです。
ちなみに国衙というのは、国を治める国司という役人が政務を行なった役所のことです。県知事(=国司)、県庁(=国衙)で捉えるとわかりやすいです。
その後、信虎公が居館を石和付近の川田館(かわだやかた)から甲府躑躅ヶ崎館に移した際、館の西側に八幡宮も遷座します、これが「府中八幡宮」です。
府中八幡宮は甲斐国の神社を統制する中心的役割であったため、国中160の神社が2社ずつ交代で二日二夜、武田家の武運を祈願したようです。これが、府中八幡宮への参勤というやつです。
以前、塩山の「菅田天神社」と韮崎の「武田八幡宮」をご紹介した際、府中八幡宮への参勤が免除された。と書きましたが、わざわざあんな遠くから甲府まできて、二日も祈願し続けなければならないのですから免除になったことで負担はかなり減ったことでしょう。
この府中八幡宮ですが、現在は「古八幡神社」として武田神社の近く、「峰本自治会館」の裏手にあります。ただ、境内の敷地を小学校建設のために提供した関係で、自治会館の裏手にひっそりと祀られているだけです。
源氏の守り神として武田家から厚く信仰された八幡宮ですが、今やこんなにもこじんまりとしているのもなんだか不思議です。
その後、甲府城築城にあたり、時の国主浅野長政(ながまさ)が、甲府市宮前町に遷座します。これが現在の八幡神社です。
本殿に向かう参道の脇には小さな池、そして祠がその中央にあります。
池の近くにはこんな伝説にまつわる看板がありました。
こちらが本殿です。本殿の背後には古墳と言われている小高い丘があるそうですが、いまいち古墳という実感が湧かなかったです。w
この石碑は一応本殿の背後なのですが、この辺が古墳だったのでしょうか。。
神社としてよりも、境内の公園で子供達が遊んでいる姿が目につきました。w こうして神様に見守られながら子供が遊ぶのはなんだかいい気分ですね。そして何より、神社前道路の桜が満開で最高に綺麗です。
今の時期はどこの寺院を訪ねても、桜、桜、桜という感じで史跡だけでなく、桜を見る楽しみも出てきます。
では、これにて山梨武田史跡巡り〜「武田家の氏神 府中八幡神社」〜は終了となります。ご覧いただき、ありがとうございました。