大分日にちが空いてしまいましたが、今回は甲府市元紺屋町にある「華光院(けこういん)」を訪問してきました。
華光院は、京都の真言宗系寺院「智積院(ちしゃくいん)」の末寺で「真如山華光院良林寺」と言います。
1521〜1528年(大永年間中)に武田信虎公が紀州根来山から、かまどの神として知られる「三宝荒神(さんぽうこうじん)」を勧請して荒神堂を建立したのが始まりとされています。
そして、現在の場所に移したのは信虎公の後を継いだ武田信玄公のようです。華光院の名前にしたのも信玄公ですね。
山道の入り口には甲府山の手七福神と毘沙門天の旗がなびいています。すぐにわかるようになっているのは助かります。
まっすぐ歩いていくとそのまま本堂に到着しますが、車の場合は右の方から回り込むとそのまま本堂の前まで行くことができます。
そして山門の下には毘沙門天と思われる石像が二体。いい雰囲気です。
山門くぐって左手に本堂があります。すぐ近くの梅とのショットが我ながらいい一枚だと思ってしまいました。w
本堂向かって右側に本日のお目当て、毘沙門堂があります。少し急な階段を登らなければなりません。
こちらのお堂は1742年(享保9年)、時の甲府藩主柳沢吉里が大和郡山に転封となった際、甲府城より移築されたもので、現存する唯一の甲府城遺構で大変貴重なものとされています。ちなみに柳沢吉里は忠臣蔵で有名な柳沢吉保の嫡男で金魚の養殖で有名な方ですね。
毘沙門天は、財運の神であり、中国や日本では仏様を守護する四天王の一人で戦いの神でもあります。多くの人々の願いを叶えることから「多聞天(たもんてん)」と呼ばれたりもしますね。必勝開運、家運隆昌、子孫繁栄の徳があります。
ここからの眺めはとても素晴らしくまさに「甲府にもこんな場所あったんだ」と感じてしまいました。
最後にちょっと小話。ある日の夜布団に寝転がっていると何やら不穏な影が横目につきました。まあゴキブリだろうと思うところですが、なんと30cm以上はあるんじゃないかという長さの「ムカデ」でした。
そもそもムカデを見た記憶がなかったので「えっ、なぜにこのタイミングで?しかもこのデカさ?」と思い調べると、ムカデは毘沙門天の使いで、前にしか進めないことから信玄公は使い番の旗印にもしていました。若干焦りましたが、見ているとベランダに通じるドアに向かうので、そのままベランダのドアを開けてやるとすっと出ていきました。
ムカデはまっすぐしか進めない。私の運気もどんどん上がって進んでいけそうです。きっと毘沙門天の使いであるムカデが多くの徳を私にもたらしてくれたのかもしれません。ありがとうございます。でも、結構びっくりするので訪問する際は、明るい時にわかりやすくきてくださると嬉しいです。w
これは華光院に来いということかと思い、これを書く前にもう一度参拝させていただきました。w
では、これにて甲府山の手七福神めぐり〜軍神「毘沙門天」甲府の地と我が家に現る。ムカデからのお届け物〜は終了です。ご覧いただき、ありがとうございます。