270年余りにわたり鹿児島県喜入町を治めてきた一族、肝付家の墓地が「香梅ヶ渕」の向かい側にあるのですが、墓の他にも首のない仏像や寺跡などもあります。今回は「肝付家墓地と玉繁寺跡」を紹介していこうと思います!
5段からなるこの墓地は、肝付家3〜12代までの領主・一族の他に、玉繁寺の代々の住職の墓もあります。
上記の写真はその中でも3段目となっています。ここは10〜12代目の墓があり、小松帯刀の父の墓も一緒に並んでいます。
Q、今までの写真を見て気づくことはありませんか?
A、墓の形が違う


3〜4代は宝篋印塔・5〜10代は五輪塔・11〜12代は神式と呼ばれる形へ変化しているのです。詳しく知りたい人は下記の写真を見てみてくださいね!
肝付家墓地と玉繁寺跡に来た際は、すぐ近くに香梅ヶ渕と呼ばれる名所もあるので、是非行ってみてください!
※少し前に「悲しい歴史を持つ渕」という記事をあげています。良ければそちらもご覧くださいな😊



名称:肝付家墓地と玉繁寺跡
住所:鹿児島県鹿児島市喜入町
駐車場あり