平重衡(たいらのしげひら)は平安時代末期の公卿・武将。平清盛の五男で、源平合戦で東大寺や興福寺を焼き討ちしたことで知られます。
「一ノ谷の戦い」で捕虜となり、最期は木津川で斬首されました。
重衡は死の直前、浄土宗の開祖である法然(ほうねん)と面会し、受戒(仏教に帰依すること)しました。
八条堀川の南西にあるこの場所には、平安時代、「八条堀川の御堂」と呼ばれる御堂がありました。
重衡は処刑されるまでこの「八条堀川の御堂」に幽閉されており、ここで受戒を受けたとされています。
この石碑は法然の八百年遠忌を記念して建てられたものですが、源平の隠れた史跡といえるかもしれません。
遺構となるものはなにもなく、石碑と説明板があるのみ。今はファミリーマートになっています。