平安時代の武将・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は、信州の諏訪大明神を深く信仰していました。
田村麻呂は桓武天皇より蝦夷平定を命じられ、征夷大将軍に任命されます。
これに戦果をあげられたのは諏訪大明神のおかげだとして、田村麻呂は御礼として社殿を造営し、諏訪大明神の分霊を祀りました。それがこの「尚徳諏訪神社」です。
その後、幾度となく社殿は荒廃しますが、その都度、源義経や足利頼光、徳川幕府らによって復興されたといいます。
近いところでは1864年の蛤御門の変で焼失しますが、孝明天皇が150両を下賜したことで再建され、現在に至ります。