寺町通を押小路通から北に上がると、右側に「間部詮勝寓居跡」と書かれた石碑が建てられています。
間部詮勝(まなべあきかつ)は幕末の越前鯖江藩主で,寺社奉行・大坂城代・京都所司代を経て老中となりました。
老中として将軍後継問題や条約勅許問題に対応した一方で、尊王攘夷派を弾圧したことでも知られます。
1858年に調印された日米修好通商条約孝明天皇が激怒すると、詮勝は天皇をなだめるために上洛し、この場所にあった妙満寺に滞在しました。
妙満寺は昭和に入って左京区の岩倉に移転し、跡地にはこの石碑だけが残されています。