青石畳通りとは、島根半島の先端にある美保神社から仏国寺に向かう通りで、通りの一部に水で濡れると美しい青色になる緑色凝灰石が敷いてあるのがこの名前の由来です。
この青石畳通りは 2006年(平成18年)に「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に認定されました。

美保神社のあるこの美保関界隈は、江戸時代には北前船の寄港地として栄えた歴史があり、当時は50件ほどの回船問屋や美保神社参拝客用の旅館や土産物屋などで大いににぎわっていたようです。

そのため文人墨客も多く訪れており、与謝野晶子、高浜虚子、西条八十等の残した歌碑や句碑が青石畳通りで紹介されています。

現在はこの地域は漁業の町であり、美保神社のコトシロヌシノカミ(えびすささん)にちなんだ「笠浦龍神祭り」や「墨付けとんど」という珍しい行事でも有名です。
また昭和世代には、宿泊付きの忘年会などで利用する機会もある場所でした。

美保神社の鳥居の内側から見ると、鳥居の左側に青石畳通りへの入り口があります。写真の奥はすぐ海で美保関漁港があります。
青石畳通りに入ってすぐのこの辺りに緑色凝灰石が敷いてあって、雨でぬれると青色になってきれいです。(青石畳通り内側から入口を見る)
現在も旅館として営業されているところもあります。
与謝野晶子の夫、与謝野鉄幹の歌です。
少し歩くと「太鼓醤油店」があります。
この醤油屋さんは、以前、東京銀座で天ぷら専門店を営む店長が全国を捜し歩いて見つけた醤油と紹介されました。
濃厚で少し甘めの醤油はお刺身にかけても美味しいです。
通りのもっと奥には、松江市の歴史的建造物に登録された建物もありました。
もう住む人はいないようです。
昭和の頃には家庭でも行っていた「もち花飾り」、ちょうど令和6年2月10日~2月15日まで開催中で、家の軒先にもち花が立て掛けてあり青石畳通りに花を添えていました。
各家庭でお餅つきもしなくなった現代、ましてもち花は見かけることが無くなってしまったのは残念ですが、新年を迎える楽しい行事として家族みんなでもち花を作った昭和の昔がしのばれる風景でした。
青石畳通りは江戸時代の過去から現在までの長い歴史が混在する通りでした。

過去の伝統を引き継ぎ今尚、旅館として営業する建物と、住む人もなく役目を終えひっそりとたたずむ建物もありますが、すべてが美しい街全体の景観作りを担っていました。

住所:島根県松江市美保関町美保関58
電話:0852-73-9001