2024年1月1日に起こった能登半島地震。
震災から2ヶ月。
3月に入って炊き出しのボランティアとして、石川県志賀町にある富来支所に行ってきました
志賀町富来支所に行くまでの経緯
志賀町は金沢から2時間くらいの場所にあります。

今回は、「ライフサポート復興を支援する会」が行う炊き出しに参加させていただきました。

ライフサポート復興を支援する会は東日本大震災のときに発足し、現在も東北の復興支援を継続的におこなっている団体です。

能登半島地震のときも1月8日には志賀町の富来支所に入って支援物資や炊き出しを行っており、2月も志賀町で炊き出しを行っています。

・経験値の高い心強い団体のみなさんと一緒に金沢駅で合流して移動できること。
・道路状況が落ち着いていること
志賀町は被害の大きかった珠洲市や輪島市よりは金沢に近く、
幹線道路である「のと里山海道」も志賀町のエリアは復旧工事が終わっていたことは確認済

初めて炊き出しに参加する素人が足手まといにはならないという判断から
今回、参加を決めました。
また、炊き出し場所が避難所ではなく、町役場関連の施設だったので、小学3年生の息子にも地震で大変な想いをしている人がいるという現状を感じてもらいたく、同行させました。
志賀町までの様子と炊き出し準備
行きは、千里浜から下道で249号線を海沿いに進んでいきました。
ブルーシートがかかっている家や巌門、機具岩や夫婦岩沿いを走っていました。運転していたので、ちらっとでしたが、以前と風景が変わっているのがわかりました。
金沢駅で新潟からのメンバーと合流。
現地集合で、池袋、静岡、富山、金沢と各地から集まりました。

この日は、雪が降ったり止んだりで、風も強い日でした。
大きなタープテントをたてたものの、強風で断念。
吹きさらしの中、炊き出しの準備を行いました。

車の気温計では外気温3度でしたが、日が暮れてからの体感は0度くらいだったと思います。
子どもにはスキーウェアを着せて参加させました。(防寒としてはかなりおすすめ)
今回の献立は、肉うどん。
カレーや豚汁の炊き出しの定番は、1ヵ月もすると食べる方も飽きてしまうそうで、あったかいうどんは喜ばれるそうです。

葱をひたすらみじん切り。
参加された方の中に料理経験がある方も多数。
出汁もベースの出汁を味見しながら、調味料を加えて整えていきます。
火の設備がないところで炊き出しを行うので、火はガスボンベとバナーを使ってお鍋を温めていました。
肉はショウガを効かせて、火を入れながら味付けしていきます。
もちろん、うどんをゆがくお湯もバナーであたため。
今回は300食のうどんを準備しました。
富来支所は志賀町役場の派出所的な存在で、周辺にお住いの方は、罹災証明をもらったり、役場の手続きをするためにここにやってきていました。

夕方から炊き出しがあると、富来支所にて張り紙をして告知してくださっていたので、18時くらいからみなさん集まり始めました。
うどんは、持って帰られる方もいらっしゃいるので、蓋も準備。
また、お鍋持参で早くから待ってくださっていた方もいらっしゃいました。

高齢者の方も多く、車まで運んだり、熱いので持ってきたかごに入れたりと補助も行いました。
うどん以外に、なんとお稲荷さんの差し入れも。
事前に作って志賀町入りしてくださいました。
息子は列の最後尾というカードをもって、他のメンバーさんと人の交通整理。
小学3年生なんて戦力になるのか、心配だったのですが、現地の方にたくさん声をかけてもらい、かわいがってもらえて、逆に嬉しかったようです。

私も未経験で炊き出しに参加させてもらって、こんな自分でも手伝えることがあるんだろうか、という気持ちが現地に行くまで拭えませんでした。

でも、行ってよかったです。
志賀町は珠洲市や輪島市に比べたら状況は大したことない、という一言で片づけられてしまうかもしませんが、屋根の瓦が外れてしまい、ブルーシートをかけているお家もたくさんありました。
津波も1mくらい到達したとも聞きましたし、倒壊した建物が多い地域もあるそうで、地盤が弱いところのお家は損傷が激しいとのことした。

志賀町の水は3月2日までにすべての地区で通水が完了し、断水が解消されている状況でしたが、まだまだ不自由なことは多いと感じます。

富来支所の近くには自衛隊も待機していました。
町役場の中には愛知県から応援で入っている方もいらっしゃいました。
下水道関係も県外の方が入っていましたし、いろいろな人の支えがあって今があるということを実感することができました。

自分だけではできないことも、人が集まれば何か形になる、
私も元気をもらえたし、私たちのエネルギーを少しでも明日も頑張ろうというパワーに代えてもらえたらいいなと感じました。
また炊き出しのボランティアに参加したいと思います。