「三条東殿(さんじょうひがしどの)」は白河法皇の院御所です。法皇の死後は鳥羽上皇の院御所となり、上皇と后の待賢門院が住みました。
その後、消失しますが、再建されて後白河法皇の院御所となりました。
その後、消失しますが、再建されて後白河法皇の院御所となりました。
1159年、後白河法皇によって平清盛が出世を重ねることに不満を持った源義朝は、藤原信頼と手を組んで三条東殿を襲撃し、法皇を連れ去って幽閉します。
これにより平治の乱が勃発。激しい戦いのすえに源氏方が敗北し、平氏の政権が成立しました。
これが後の源平の争乱につながります。
これにより平治の乱が勃発。激しい戦いのすえに源氏方が敗北し、平氏の政権が成立しました。
これが後の源平の争乱につながります。
現在、三条東殿の跡は商業施設の「新風館」となっています。新風館の北側に「三条東殿遺址」の碑が設置されています。