角倉了以(すみのくらりょうい)は、室町時代から江戸時代初期の豪商。朱印船貿易に従事し、大堰川(保津川・桂川)、高瀬川、天竜川、富士川などの水路の開発に尽力しました。
京都・嵐山にある嵐山公園のうち、亀山地区は通称を「亀山公園」といいます。
この亀山公園の南の入り口付近に、周恩来が京都留学中に嵐山で作ったと言われる「雨中嵐山」の詩を刻んだ石碑があるのですが、そのすぐそばに角倉了以像があります。
初代の像は大正元年に建立されましたが、戦前の資材供出により撤去されました。戦前に建てられた銅像にありがちな話ですね。
現在の像は、1988年に地元の有志が設置した2代目です。
この像は、三条京阪の高山彦九郎像、円山公園の坂本龍馬像と並んで「京都三大銅像」の一つとされているそうです。
その割には知名度が今ひとつのような…
角倉了以はこの銅像の他に京都市中京区の「立誠ガーデン ヒューリック京都」前に顕彰碑、京都市西京区の大悲閣千光寺に木像があります。
なんというか、どれも顔が異様に険しいのでした。