北大路堀川から西辺りは「紫野」と呼ばれ、多くの有名な神社仏閣がある地域です。
そんな一画に歴史に名を残している有名人のお墓があるのです。

何でここに??

と思うくらい唐突にポツンと建っています。
私も偶然この辺りを通って見つけたのです。

場所は島津製作所紫野工場の敷地内。
とはいえ、入り口は別なので誰でも入れます。
どっかのお店のアプローチかと思うほどきれいな入り口。

奥へ入ってみましょう。
まずは「紫式部」のお墓から。
シンプル!

敷地自体も広くはないのですが、それ以上に墓石が普通・・・
石碑もありました。
出来るだけ簡単に紫式部を紹介すると・・・

幼少の頃から頭が良く、実兄よりも優秀だったと言われている紫式部は、当時としては遅めの26歳に結婚しています。
直ぐに女の子を授かりますが、その2年後に夫を亡くしました。
そして子育てをしながら代表作「源氏物語」を数年かけて執筆したそうです。

名前の頭にある「紫」は当時この「紫野」辺りに住んでいたため名付けたと言われています。

そしてその隣には・・・
こちらもめっちゃシンプルな「小野篁(おのたかむら)」のお墓。

こちらも簡単に紹介すると・・・

小野妹子(おののいもこ)」の子孫と言われている小野篁は、幼少の頃に閻魔大王に出会ったそうです。
大人になってから閻魔大王に冥官(地獄へ行くかどうか決める人)」として指名されます。

こういうと架空の人物かと思われますが、実在した人です。

時々、閻魔大王に呼ばれた小野篁は、夜中に六道珍皇寺の「冥土通いの井戸」からあの世へ行き、朝に福成寺の「黄泉がえりの井戸」から帰ってきていたと言われています。

石碑もありました。
ところで紫式部が生きていた時代の約200年後に小野篁は生きています。
そんなお2人が何故ここでお墓を並べているのか・・・

諸説ありますが一番語られている話は、紫式部は好色の物語を書き過ぎたせいで地獄に落ちたのではないかという話です。

後に小野篁がそのことを知り、紫式部を助けてくれないかと閻魔大王に掛け合ったと言われています。
そして帰ってきた紫式部を改めて自分の隣に葬ったそうです。

ん?自分のお墓?この時に小野篁は亡くなっていたってこと?

もう一つのお話として、後にこの話を知った人々が、元々ここにあった小野篁のお墓の隣に紫式部のお墓を移したという説です。

こっちのほうが筋が通りそう。

とにかく不思議なこのお墓、誰でもお詣りできます。
お近くに寄られた際に立ち寄られるのもどうでしょうか。




小野篁卿墓・紫式部墓所(Yahoo!ニュースが取り上げていました
住所:京都府京都市北区紫野西御所田町
参拝時間:無休、時間は不明
拝観料:無料
その他:駐車場などはありません