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山梨武田史跡巡り〜甲府北エリア④「大泉寺」〜
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観光・レジャー
山梨県・大泉寺
山梨武田史跡巡り甲府北エリア④は、武田神社から徒歩15分ほどの距離にある「大泉寺(だいせんじ)」をご紹介します。
曹洞宗(そうとうしゅう)の寺院で元は別の場所にあった密教系の大川寺(だいせんじ)という寺院を1521年(大永元年)に、武田信玄公の父信虎公が現在の地に移転させたのが大泉寺のはじまりです。
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山門の右側の道を進むと駐車場がありますので車でアクセスできます。
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この寺は信虎公の菩提寺となり、信玄公や勝頼公からも厚く庇護を受けました。菩提寺とは、位牌を納めて死後の冥福を祈ってもらうお寺で、戦国大名が建立したり、大名たちから帰依を受けたお寺のことです。
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これは柳沢吉保公が現在の甲府護国神社(ごこくじんじゃ)付近に建てた永慶寺(えいけいじ)というお寺の山門が移築されたものです。
柳沢吉保公は、江戸時代中期元禄の頃に徳川綱吉政権で大老を務めた実力者です。
参道はとても静かで荘厳なたたずまいです。
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この大泉寺は、甲斐国領国内の曹洞宗寺院の僧録所(そうろくじょ)となります。僧録所とは簡単にいうとお坊さんの人事統括といった感じです。結構な重職ですよね。
参道の途中です。
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この奥には本堂があります。
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信虎公は、実の息子信玄公に甲斐国内を追われて駿河今川家にいましたが、京都や奈良などの上方を遊覧したりしたのち、1574年(天正2年)武田領信州高遠の地で没します。その後、大泉寺に移送されて葬儀がとり行われました。その際、自身の三男で信玄公の弟にあたる武田信廉公が描いた肖像画が奉納されています。
やや見にくいですが左上の肖像画が信虎公です。
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信虎公は、悪逆非道、民百姓からも非常にうとまれた暴君と長年言われ続けてきましたが、近年甲府開府500年に向けて様々な調査がなされて、甲府の発展の礎をきづいたことなど評価される点が多くなってきました。
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この先をいくと信虎公の墓所になります。
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これは御霊堂(みたまどう)で、中には信虎公・信玄公・勝頼公の肖像が安置されています。
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建物の裏手に信虎公(中央)、信玄公(右)、勝頼公(左)の供養塔があります。一応これが信虎公のお墓ということです。だいぶ狭い場所にあります。
かつて戦乱の甲斐国内を統一し甲府を開府した大名の眠る場所にしては、場所も周辺も静かでこじんまりとしております。もしかしたら、あまりにも激しい生涯を送ったため、死んだ後は、静かな場所で眠りたいという本人の願いがあったのかもしれませんね。
これにて、山梨武田史跡巡り〜甲府北エリア④「大泉寺」〜は終了です。