黄梅院跡
観光・その他 山梨県甲斐市龍地   [地図]
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2023-03-22 17:09
山梨武田史跡巡り〜甲斐市エリア②「黄梅院跡」〜
観光・レジャー 山梨県・黄梅院
観光・レジャー 山梨県 黄梅院
さて、今回は甲斐市エリア②として「黄梅院跡(こうばいいん/おうばいいんあと)」をご紹介します。
黄梅院とは、1543年(天文12年)信玄公と正室三条夫人の間に生まれた長女です。
もしかしたら、小田原後北条家について詳しい方には「北条氏政夫人」の方が馴染みがあるかもしれません。
1551年(天文20年)、甲斐の武田氏、相模(さがみ/現在の神奈川県)の北条氏、駿河(するが/現在の静岡県)の今川氏の間で甲相駿三国同盟が結ばれました。
元々、信玄公の嫡男義信公には駿河今川家から嶺松院(れいしょういん)が嫁いでいました。そして北条家当主北条氏康(うじやす)の娘早川殿(はやかわどの)今川義元(よしもと)の嫡男今川氏真(うじざね)に嫁ぎます。
同じように、武田家からは長女の黄梅院が北条家の嫡男氏親(うじちか)に嫁ぐ予定でしたが、この氏親が16歳の若さで亡くなってしまいます。そこで、次男の松千代丸(まつちよまる)ことのちの北条氏政(うじまさ)に嫁ぐことになったのです。
この2人、夫婦仲は非常に良好だったようで、12歳で亡くなった長男も含めて4人子供をもうけています。
1568年(永禄11年)、信玄公が駿河に侵攻したことで三国同盟が破られたため北条氏康は黄梅院を甲斐国に送り返しました。そして、夫と離縁させられ鬱々とした日々を過ごしたのち出家し、27歳で死去したとされています。
そんな哀れな娘を思ってか、信玄公はこの甲斐市龍地(りゅうじ)の地に菩提寺として黄梅院と建立して葬ったと言われています。が、、
実は、平成31年に新説が出て実際は離縁せず小田原の地にとどまりそのまま亡くなったということも言われ出しているようです。
いずれにしても、ここに黄梅院が眠る可能性もあるということで、わざわざ小田原の日本酒がおそなえされてました。この方の温かさを感じます。
ちょっとした道路脇にある黄梅院跡。私も長い間知らずにいたので今回訪問できてよかったです。駐車所はないので、路駐してささっと見るのがオススメです。
では、これにて山梨武田史跡巡り〜甲斐市エリア②「黄梅院跡」〜は終了です。甲斐市エリアを2回ともご覧くださりありがとうございました。
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