旧二条城跡
									
									
										
							                観光・その他
							            
										京都府京都市上京区武衛陣町221  
																							[地図]
																					
									
								
         
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					            		                            二条城は他にもあった 織田信長が造った「旧二条城跡」
					            							
		
		
											            
				            
									
                                    まちフォト
								
								
									
                                    
						                							                			                                    京都府・丸太町
			                                						                						            
								
							
					                                「二条城」といえば「古都京都の文化財」としてユネスコの世界文化遺産にも登録される京都を代表する観光地のひとつですが、日本の歴史において「二条城」と呼ばれるものが複数あったことはご存知ですか?
					                            
					                        						        	
					                                以前ご紹介した「斯波氏武衛陣・足利義輝邸遺址」の場所には、その後、将軍・足利義昭のために織田信長によって城が築かれました。
					                            
					                        						        	あの「武衛」と将軍・足利義輝の邸宅の跡「斯波氏武衛陣・足利義輝邸 遺址」
この石碑は、ここに室町幕府の管領・斯波氏の邸宅があり、その跡を足利義輝が将軍御所としたことを示すものです。 「管領」というのは室町幕府における将軍に次ぐ最高の役職で、将軍を補佐して政治を行いました。 斯波氏は管領になれる三管領家の筆頭。兵衛府の長官を務めたので、兵衛府の唐名である「武衛」と呼ばれました。「武衛」は2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも話題になりましたね。 武衛の陣(邸宅)があったので「武衛陣」といいます。 その後、武衛陣は放棄され、戦国時代にはその跡地が将軍・足利義輝の将軍
https://freelife.ne.jp/article/6255
					                                この「二条城」は2重の堀や3重の天主を備えた堅固で華麗なお城だったと伝えられています。
しかしその後、義昭と信長の関係は悪化し、義昭が追放されて室町幕府が滅ぶと二条城も解体されました。
					                            
					                        						        	しかしその後、義昭と信長の関係は悪化し、義昭が追放されて室町幕府が滅ぶと二条城も解体されました。
					                            
					                                現在、「斯波氏武衛陣・足利義輝邸遺址」の石碑から北西の、平安女学院の角に石碑が建てられています。
					                            
					                        						        	
					                            

										
										
										
										




