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平野国臣や古高俊太郎ら勤王派の志士37士の墓がある浄土宗の寺院
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まちフォト
京都府・丸太町
京都市上京区の竹林寺は浄土宗西山禅林寺派・永観堂の包括寺院。境内には平野国臣や古高俊太郎ら、勤皇派の志士37士の墓があります。
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平野国臣は福岡藩出身の幕末の志士。倒幕のために但馬の生野で挙兵しましたが(生野の変)、破れて捕らえられます。京都の六角獄舎に投獄されていましたが、禁門の変の際に火災が生じると、囚人が脱走して治安を乱すことを恐れた役人によって殺害されました。
古高俊太郎は近江出身の幕末の志士で、新撰組に捉えられ、池田屋事件の発端となりました。
六角獄舎に送られ、平野国臣と同じく、禁門の変の際に役人によって殺されています。
六角獄舎に送られ、平野国臣と同じく、禁門の変の際に役人によって殺されています。
平野や古高らの遺骨は、1977年(明治10年)になって西ノ京円町付近の西刑場址から発見され、竹林寺に葬られました。1910年(明治43年)に墓碑が建立されています。
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