江戸時代の茅ヶ崎の英雄譚
江戸幕府の大筒役(大砲およびその打ち方を管理する役人)だった佐々木卯之助は、天保の飢饉のころ茅ヶ崎の人々の苦しい生活を目の当たりにして、現在の南湖周辺での耕作を認めました。人々には大変感謝をされた計らいでしたが、卯之助は江戸幕府から息子と共に伊豆諸島青ヶ島へ遠島となりました。大砲の練習場内を農地にするとはけしからんというのが幕府側の処分の理由だったのです。 後に卯之助は赦免されますが、青ヶ島から江戸に戻ることなく82歳で亡くなります。 死後、初代茅ヶ崎村長の発起人によりここに記念碑ができました。
eboshi_miina_1978
2023-04-30 23:16