江戸時代、大坂(大阪)は大川以南から本町通までの北組、本町通から道頓堀あたりまでの南組、大川以北の天満組に区分されており、その3組を総称して「大坂三郷」と呼ばれていました。
各組には自治行政を行った惣会所が置かれます。惣会所には運営の中心となる惣年寄がいました。
惣年寄は町奉行のもとで、年貢の取り立て、御触の通達、町年寄の任命、火消しの人手の指揮など、現在の市役所・司法・消防・警察といった業務を担当します。
惣年寄の下には惣代がおり、実務を担っていました。
この制度は大阪のほかに岡山、高知、鹿児島などにもみられ、江戸時代初めから明治時代初めまで続きました。
南組惣会所があった場所は、今は南大江保育所になっています。1962年(昭和37年)に南組惣会所跡が建立されました。
ここは1970年(昭和45年)に今の場所に移転するまで南大江小学校跡があった場所でもあり、現在は南組惣会所跡と南大江小学校跡の碑が並んでいます。