瑞光寺(ずいこうじ)は京都市伏見区深草にある寺院で、開祖・元政(げんせい)上人にちなみ「元政庵」とも呼ばれています。
元政上人は、江戸初期の日蓮宗を代表する高僧と言われた人物ですが、元は彦根藩に仕える武士でした。
19歳で主君と共に江戸へ出ましたが、病のため辞したそうです。
その後元政上人は恋仲となった吉原の高尾太夫(2代目)が亡くなったことをきっかけに京都・妙顕寺で出家をしました。
明暦元年(1655)には洛南深草の地に称心庵を結び隠棲しますが、元政上人を慕って集まる人は後を絶たちませんでした。
子弟により寺院に改められた瑞光寺で、元政上人は石川丈山(じょうざん:武将であり文人、詩仙堂を造営)・熊沢蕃山(くまざわばんざん:儒学者)・北村季吟(きぎん:俳人・歌人・古典学者、松尾芭蕉の師)ら文人墨客と交流するとともに日蓮宗研究者として多くの著作を残しています。
生涯病気がちだった元政上人は、寛文8年(1668)に46歳で亡くなりました。
遺体は瑞光寺境内に葬られ、遺命により3本の竹を墓標として植えられた簡素な墓となっています。
元政上人が出家した逸話にちなみ、瑞光寺は縁結び・縁切りのご利益があるとされています。
元政上人のお墓を時計回りに回ると縁結び、逆回りなら縁切りが叶うそうですが、お墓をグルグルするのって、ちょっと罰当たりな気も…。
山門をくぐってすぐ右にある白龍銭洗い弁財天は金運・財運のパワースポットとして知られています。
ざるにお札や硬貨を入れて水で清め、浄財袋に入れて大事に持っていると金運や財運に恵まれるそうです。
特に辰の日と巳の日にお参りすると、いっそうご利益がいただけるとか。
また隣に鎮座されている帝釈天は開運のご利益があるとされていますので、一緒にお参りしてみてください。
私がお参りしたときはほかに参拝されている方もいらっしゃらず、とても静かな境内でした。
茅葺屋根が特徴的な本堂は、お寺のお堂というより庵と言った方がふさわしいような風情のある建物。
本堂の周囲も素敵なお庭となっていて、とても落ち着いた雰囲気でした。
夏の暑さをしのごうとご両親のために元政上人が考案されたうちわは「深草うちわ」として「小丸屋住井」で製作され、京土産を代表する人気商品となったそうです。
深草うちわは現在も京都岡崎の「小丸屋住井」さんで販売されていますので、興味のある方はお店へ足を延ばしてみてください。

瑞光寺

京都伏見深草は、元政上人で有名な草山 元政庵瑞光寺です。 瑞光寺は元政上人が開祖となる「元政庵 瑞光寺」と呼ばれる、京都・深草に建つお寺です。 元政上人が竹を好んだ事から「竹葉庵」とも呼ばれています。 元政上人は、江戸時代初期の日蓮宗を代表する高僧といわれ、京都深草に住したところから、深草(草山)の元政、艸(草)山和尚とよばれています。 日蓮宗の宗学者、教育者として大きな功績を遺していますが、当代一流の詩人・文人としても著名です。 元政はこの草山で自ら信行に励むと共に、著作詩文を多くものにし、著名な文人墨客と交遊し、宗内外の碩学と道交を結びました。 三六歳の時父を送り、翌年母と共に父の遺骨を奉じて身延に詣で池上を訪れました。この旅行記が『身延道の記』で元和上皇から嘉賞せられた名文の書です。 寛文元年(1661)称心庵の仏堂が完成し、中正日護作の釈尊像を安置して瑞光寺と改めました。

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瑞光寺

京都伏見深草は、元政上人で有名な草山 元政庵瑞光寺です。 瑞光寺は元政上人が開祖となる「元政庵 瑞光寺」と呼ばれる、京都・深草に建つお寺です。 元政上人が竹を好んだ事から「竹葉庵」とも呼ばれています。 元政上人は、江戸時代初期の日蓮宗を代表する高僧といわれ、京都深草に住したところから、深草(草山)の元政、艸(草)山和尚とよばれています。 日蓮宗の宗学者、教育者として大きな功績を遺していますが、当代一流の詩人・文人としても著名です。 元政はこの草山で自ら信行に励むと共に、著作詩文を多くものにし、著名な文人墨客と交遊し、宗内外の碩学と道交を結びました。 三六歳の時父を送り、翌年母と共に父の遺骨を奉じて身延に詣で池上を訪れました。この旅行記が『身延道の記』で元和上皇から嘉賞せられた名文の書です。 寛文元年(1661)称心庵の仏堂が完成し、中正日護作の釈尊像を安置して瑞光寺と改めました。

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