清和院は京都市上京区にあるお寺で、近くには北野天満宮や上七軒、北野商店街などがあります。
平安時代初期、文徳天皇が自分の伯父にあたる藤原良房(よしふさ)の邸宅「染殿第」の南に地蔵菩薩を安置するための仏心院を建てたのが清和院の始まりです。
文徳天皇の第四皇子であった清和天皇が譲位した後の住まいとしたことから「清和院」と名を改めました。
元は京都御所内、今の「京都迎賓館」の辺りにありましたが、万治4年(1661)の禁裏火事で焼失したため、後水尾天皇により現在の場所に移されました。
今も京都御所には清和院御門が残り、かつて清和院があったことを物語っています。
清和院の御本尊は、木造地蔵菩薩立像で、清和天皇のお姿を写したものと伝えられ、清和地蔵尊・玉体地蔵尊とも呼ばれています。
でも今回私が清和院を訪れたのは、洛陽三十三所観音霊場の33番目の御朱印をいただくため。
でも今回私が清和院を訪れたのは、洛陽三十三所観音霊場の33番目の御朱印をいただくため。
その観音様が安置されているのが上の写真のお堂です。
手前に座っておられるのはびんずる尊者、病を治す力があるとされる十六羅漢(お釈迦様の高弟)のおひとり。
御朱印は山門からまっすぐ奥に進んだ庫裏の法でいただくことができます。
とても小さなお寺ですが、私の後には同じように御朱印をいただかれる方が並ばれていました。
無事いただいた御朱印、墨書きがあまりにも美しいので、お堂をバックに写真を撮りました。
中央には個性的で美しい書体で「聖観世音尊」と墨書きされています。
左側には「河崎山感應寺」
洛陽三十三所霊場の観音様は、元は一条鴨川の西岸にあった感応寺の「河崎観音」のため、札所御朱印には清和院の文字がありません。
河崎観音は感応寺が焼失した後こちらに移されましたが、霊験あらたかな観音様として都の人々から信仰されていたそうです。
現在は九州博物館に収蔵され、こちらのお堂には写真が安置されています。
【清和院・聖観音菩薩立像】
— Takaタカ (@vietnamcat) 2019年10月18日
清和院は洛陽三十三観音第33番札所。本尊は地蔵菩薩立像で、札所本尊は河崎観音堂焼失で移られた像。元は十一面観音像といわれ、カヤ材丸彫りで平安(9世紀)の作。
現在は九博所蔵のため、写真を厨子に安置(画像左)。
(画像右は九博サイトより)#butsuzo #仏像ツイオフ pic.twitter.com/VwCK83nsHQ
札所めぐりのため訪れた小さなお寺でしたが、由緒を調べてみるとその歴史はとても興味深いものでした。
さまざまな歴史に触れ、初めての景色を見られる楽しみ。
これがあるから寺社めぐりは止められません!












