今回からは、武田信玄公ゆかりの「甲府五山」をご紹介します。
甲府五山とは、武田信玄公が鎌倉や京都の五山制度にならい定めた、甲府にある長禅寺(ちょうぜんじ)能成寺(のうじょうじ)東光寺(とうこうじ)円光院(えんこういん)法泉寺(ほうせんじ)の5つの禅宗寺院のことです。
五山制度(ござんせいど)とは、元は中国南宋時代の制度で、政府が特別の保護を与え管理した5つの寺のことです。特別扱いをされた寺ということですね。
一般的にも、私個人でも「長禅寺→能成寺→東光寺→円光院→法泉寺」の順にまわるのがベストだと思います。
その五山回りのスタートである長禅寺は、甲府駅から徒歩11分ほどなのでアクセスしやすいのもいいですね。
ほとんど線路沿いなので、東京方面の電車ではこの山門を必ず見ることができます。ただ、ここから中に入れません。
中に入るには横にあるこちらの門から入ります。
実は山梨県南アルプス市に「古長禅寺(こちょうぜんじ)」というほとんど同じ名前の寺があります。というのも、元々長禅寺はこの南アルプス市の方だけでした。この長禅寺は信玄公の母大井夫人の一族が菩提寺としていました。
そして1552年(天文21年)に大井夫人が没すると、信玄公は元々あった長禅寺を二分して南アルプス市の長禅寺を「古長禅寺」とし、新たに甲府に創建した方を「長禅寺」としました。
正面から入れないので、参道には横から入りました。
元々信玄公はこの寺が南アルプス市にしかなかった頃の長禅寺住職、岐秀元伯(ぎしゅうげんぱく)を学問の師として仰いでいたこともあり、自身が国主となったのちはこの寺を庇護していました。
この岐秀元伯は武田信玄公が出家した際、「信玄」の法号を晴信公に与えた高僧でもあります。晴信とは出家前の信玄公の名前です。
これは大井夫人の霊廟です。
大井夫人は、武田信虎公が駿河に追放された後も甲斐に残り、出家したのち躑躅ヶ崎館の北曲輪(きたのくるわ)に住んでいたことから「御北様」と呼ばれました。
境内の五重塔は現代の作品ですが、圧倒的な迫力でした。
大井夫人の墓に行く途中でのぞいた八角三重塔です。
やや狭い道をいくと、大井夫人の墓があります。
駐車場の方には、三重塔があります。こちらは大型仏塔建立の技術研究のために建てられたようで昭和に完成したものです。
実際に拝観はできませんが大井夫人の肖像画が甲府長禅寺に奉納されています。この肖像画は逍遥院で紹介した大井夫人の実子武田信廉公の作といわれています。
境内にはとても綺麗な紅梅が咲いていました。春を感じますね。
一つ注意点ですが、車で行かれる場合、山門の前にもう一つ大きな門があるのですが、ここの門は車でくぐることができるのでそこから駐車場に入ってください。正直、私は迷いました。w
ではこれにて、山梨武田史跡巡り〜甲府五山①「長禅寺」〜は終了となります。