桜は咲き誇るその姿より、風に吹かれ、一枚一枚、花びらが大気に流れ、ゆらゆらと散っていくその様に、何よりの美しさを感じます。おそらく、年がら年中桜が咲いていたら、この花はこれほど国民に愛されることはなかったでしょう。強固で堅牢なものより、一瞬にしか宿らない儚いものを尊ぶところが、日本人が誇るべき美的センスだと僕は信じています。
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この多和神社のすぐ近くには志度湾があり、海から吹く風が桜の木を揺し、周囲に花びらの雨を降らせます。境内、駐車場、石作りの階段。そのどれもが薄ピンク色の化粧を施し、春の持つ色彩芸術的な個性を、見事に発揮しています。
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階段を登ると、こじんまりとした神社と、その向こうに、爽やかに咲き誇る桜の並びが迎えてくれます。特に花見の名所、というわけでもないこの神社は、人いきれに煩わされることなくお花見を楽しめる場所としてもうってつけです。どんな名所も、有名になり過ぎれば桜より人の数に圧倒されてしまいます。
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僕はここでchoux小屋のシュークリームを食べながら、折り畳みしきの椅子に座り、ぼんやりと、花びらの散るままに、時間の流れに身を任せました。シュークリームの美味しさについては、次回の記事に描こうと思います。クリームの甘さと、透き通る青空と、そこに彩りを加える桜がぐるぐると混ざり合い、花より団子ではない、調和の取れた安らぎの時間を過ごせました。
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神社の前にはJRの線路が通り、時々踏切の音と共に、一両編成の車両が目の前を通過します。大きな鉄の塊が風を切ると、それに釣られ、桜の花びらもまた散ります。周囲の変化になすがままで、か弱く繊細で、それでいて美しさを保っている。桜を見るという行為に飽きがこないのは、そんな姿への憧れが、どこかに詰まっているからかもしれません。
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※多和神社で地図が出てこなかったので、すぐ手前にあるENEOSの地図を貼ります。