毎朝、散歩をしています。
もともと歩くのは好きだったけれど、散歩の時間を朝にしているのは、朝の空がとても美しいから。
晴れの日も、曇りの日も、雨の日も。
それぞれの空に、それぞれの色と温度がある。
一日の始まりに空を見上げることは、わたしにとって、その日を気持ちよく過ごすための祈りのようなものかもしれません。
わたしが住んでいるのは小豆島のお隣、豊島(てしま)。
お隣とは言いましたが、小豆島と豊島の間には「小豊島(おでしま)」という小さな島があるので、厳密にはお隣とは言えないですね。
でも、朝の私の散歩コースから見える景色には、必ず遠くに雄大な小豆島のシルエットが入り込む。
実際には遠くに見えるその姿が、なぜかとても近くに感じられて、わたしは勝手にお隣さん感覚の親近感を持っています。
豊島にいて感じることの一つに、自分が豊島にいるときには、豊島そのもののの姿を見ることはできないということ。
島内には絶景のフォトスポットがたくさんあって、観光客の方も島民も豊島から見渡せるうつくしい景色が大好きです。
でも豊島がどんな姿をしているのかは、海に出なければわからない。
島の外に出て初めて、豊島の姿を眺めることができるのです。
当たり前のことかもしれない。
けれど、わたしはその事実に気付いた時、愕然としたと同時に、自分が確かに豊島にいることの幸せを感じたのでした。
他人は自分を映す鏡とはよく言いますが、豊島から眺める小豆島の姿も、ある意味鏡だとわたしは思っています。
小豆島やそのまわりに広がる海を見て、「うつくしい」と感じるとき、わたしは豊島の美しさにも気付かされる。
この瀬戸内海というエリアの中にある、たくさんの島々の中の一つに住んでいることをとても嬉しくありがたく思うのです。
小豆島は古くから観光地として人気を集めており、今なお進化し続け、人々を惹きつけてやまない瀬戸内を代表する島です。
その魅力は語りつくせないほどですが、わたしがひとつ加えるとするならば、朝の豊島から眺める小豆島は格別だということ。
うまく伝わっていないかもしれないけれど、わたしは瀬戸内の島々が大好きです。