豊島から出航する船に「しょうえい」があります。
株式会社豊島フェリーが運航する、豊島と高松を結ぶ船の一つです。
実はこのしょうえい、週に2回しか運航しない上に、一日1便しか出ないというレアなフェリー。
(フェリーは車なども乗せられる大きめの船です。)
なかなか乗る機会がありませんが、わたしはこのフェリーが大好きで、しょうえいが出航する火曜日と金曜日に高松に用事があるときは、迷わずしょうえいに乗り込みます。
高速船と違って、ゆっくりと進むしょうえいから見る景色は、穏やかな瀬戸内の海と空と島々だけ。
その贅沢な時間が、わたしにはとてつもない癒しなのです。
わたしが特に好きなのは、しょうえいに乗って高松から豊島に帰る航路。
高松を出るとき、わたしはなぜか少しだけさみしいような気持ちを抱きます。
それは、しょうえいが出航する城東町の港が、懐かしい漁港を思わせる風情があるからかもしれないし、そばに在る風俗街が昔ながらの淫靡さと華やかさを感じさせるからかもしれません。
船が出ればいつだって来られる街だし、実際よく来ているのに。
自分でもわからないような郷愁を胸に抱きながら、わたしはいつも高松をあとにします。
船は進む。
白波を立てながら、ゆっくりと。
やがて女木島が見えてきて、そのあとは男木島を通過します。
どちらの島も独特のフォルムと家並が美しく、わたしはそれぞれの島に想いを馳せます。
女木島は先日やっと訪れることができたので、愛着がわいています。
男木島には年の離れた友人がいるし、パンが美味しいお店がある。
瀬戸内に住んでいると、各島に自分なりの思い入れが増えていきます。
そのことが、静かにすごく嬉しかったり。
島を通り過ぎるときに、誰かや何かを想えるのって、なんかいいですよね。
瀬戸内に住んでいると、各島に自分なりの思い入れが増えていきます。
そのことが、静かにすごく嬉しかったり。
島を通り過ぎるときに、誰かや何かを想えるのって、なんかいいですよね。
女木や男木を通り過ぎれば、もう豊島が見えてくる。
そのころには高松を出たときのさみしさはなくなっていて、急速に「帰りたい」と思う。
いや、帰ってるんですけどね。
しょうえいが確かに豊島に向かっていることはわかっていて尚、「帰りたい」と強く思ってしまう。
その時わたしは、「あ、豊島って、わたしの帰る場所なんだ」って新発見したみたいに思うんです。
埼玉という故郷はあれど、もうわたしの帰る場所はココなんだなぁって。
そんな、こそばゆいような幸福感に充ちているうちに、しょうえいはそっと豊島に着岸します。
しょうえいでの高松ー豊島航路は約1時間ほど。
けれどその1時間はわたしにとって、とても豊かで奥深い時間です。
わたしはきっと何度でもしょうえいに乗って、何度でも自分の帰る場所を確かめるのだと思います。
瀬戸内の穏やかな海の上で。