昨日の日和山から海門時公園の方から町に降りると、石巻小学校を過ぎたあたりに「永厳寺」というお寺があります。
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門からこんな昔風の壁が続くのですが、気になるのはこの反対側なんです。
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これです。石巻市教育委員会の名前で、昭和58年12月に作られた看板らしいのですが、吉田松陰の宿所後、とあります。1850年3月16日に石巻に到着し、親友の案内で日和山久尾円からの眺望を楽しんで同行していた宮部鼎蔵と一緒に粟野邸に一泊した、と書いてあります。粟野邸は現在の日活パール劇場の場所にあったらしいですね。
その日活パール跡には、現在「シアターキネマティカ」という劇場型エンタメ施設がつくられました。こちらのご紹介はまた後程。
しかしあの看板は、いったい何処に行ったのでしょうね?