清運寺(せいうんじ)
観光・その他 山梨県甲府市朝日5丁目2−11   [地図]
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K-Style
2023-06-17 16:29
甲府山の手七福神めぐり〜「弁財天」と「加藤清正」と「太宰治」と「龍馬の婚約者」にまで会える清運寺〜
観光・レジャー 山梨県・清運寺
観光・レジャー 山梨県 清運寺
さて、これで甲府山の手七福神もいよいよラストです。ラストに訪ねたのは甲府市朝日にある「清運寺(せいうんじ)」になります。
ここ清運寺は1221年(応長元年)秋山与一郎隆晴が屋敷にお堂を建てたことに始まります。入り口にあった言葉。一気に燃え上がる恋心よりも、小さくとも長く燃え続ける恋心と同じニュアンスでしょうか。w
その後、隆晴の孫秋山孫四郎が得度して、1500(明応9年)年に清運寺を創立しました。入ってすぐ右手に「清正公堂」があります。清正とはもしや、、、?
文字がかなり見にくいですが、ここには豊臣秀吉子飼いの家臣加藤清正公の像が祀られています。清正公が法華経の熱心な信者であったことから日蓮宗の当寺に祀られているようです。
清正公堂には、弁財天も祀られています。中に祀られている弁財天は写真にうまく写りませんでした、、残念!毎年7日には縁日が開かれているようですが、私はこの地域に詳しくないので全く知りませんでした。
弁財天は七福神唯一の女神で、元はインド河の神でした。やがて、音楽や言語の神となり、日本に伝わったのちは財宝や芸能に関係深い吉祥天の性格を持ったということです。学芸成就、知恵財宝、愛嬌縁結びの徳があります。
さてさて本堂ですが、あまりお寺っぽい感じがしなかったのには訳があります。昭和20年の甲府空襲で伽藍が全焼してしまったためです。伽藍焼失によりお祭りもしばらくは途絶えてしまっていたようです。
ところでこの本堂の正面右下にお気付きでしょうか。「千葉さな子の墓」とあります。
千葉さな子とは、なんと坂本龍馬の婚約者です。簡単にいうと北辰一刀流という剣術を学ぶため龍馬は江戸にでたのですが、その師匠の妹がさな子です。龍馬19歳、さな子16歳ですから大学進学を機に東京に出て来た男子大学生が、ギターを習いに行ったらその先生の高校生の妹に恋して婚約してしまった感じでしょうか。w
ですが、結果龍馬が暗殺されてしまったため二人が一緒に暮らすことはなかったということらしいです。切ないですね。
さな子と仲のよかった小田切謙明・豊次夫婦が東京谷中の天王寺に埋葬されたさな子がいずれ無縁仏になるのを恐れてここにお墓を作ったと言われています。墓石の前に龍馬の人形がお供えされてました。
また、御崎神社の回でも書きましたが、文豪太宰治は少しの間だけ甲府のこの辺りに住んでいたこともあり、当寺も散歩したと言われています。この太宰がなんとなくポンっと置かれているのがなんともシュールです。w
来れば一度で四度もおいしい思いができる、とてもこじんまりとしたお寺でした。この張り紙。頼朝様の御恩が御家人にとって海よりも深く山よりも高いのと同じで、父母への恩も海よりも深く、山よりも高いのですね。
これにて遂に甲府山の手七福神を制覇しました。初めの回でも書きましたが、きっとこれで7つの災難(太陽、星の異変、風水害、火災、干ばつ、盗難)が除かれ、7つの幸福(威光、寿命、人望、清廉、愛敬、度量、富裕)が授かることになるでしょう。きっと、、、きっと。
もし少しでも山梨や甲府に興味を持っていただけたら是非山梨県や甲府に足を運んでみてください。経済が多少潤います。w
では、これにて甲府山の手七福神めぐり〜「弁財天」と「加藤清正」と「太宰治」と「龍馬の婚約者」にまで会える清運寺〜並びに、本シリーズは終了とさせていただきます。
複数回にわたってご覧くださった方々、本当にありがとうございました。
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