隠元大明神の祠
生活・その他
徳島県徳島市北沖洲4丁目3−73
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徳島街角紹介⑥【隠元大明神の祠】
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徳島県・隠元大明神祠
いよいよ来ました!
徳島といえば、『阿波の狸合戦』です。
徳島には狸伝承というものがあって、江戸末期から明治にかけて地域の人々の暮らしを影で支え、時には悪さをし、ときに人々の役に立ち常に寄り添う形で語り継がれた伝承があります。
中でも有名なのは阿波の狸合戦。
江戸末期に起こった狸たちの大戦争と言われています。
もともとの話の伝承のきっかけなど話をしだすと長くなるので省きますが、地元の人々の語り継がれ愛され、心の中に根強く刷り込まれている民話伝承であることには間違いありません。
スタジオジブリの『平成狸合戦ぽんぽこ』にも徳島の有名な狸たちがモデルとして出ています。
また徳島市では、ふるさとカーニバル阿波の狸まつりというお祭りが毎年秋に開催され、多くの地元の人や観光客で賑わいます。
さて、今回ご紹介する『隠元大明神』は中でも特に有名な高須の隠元狸が神様として祀られている祠です。
いわれの看板によると以下のように書かれています。
後日金長方に味方をし大層な働きをして阿波の狸の中でも指折りの豪傑となった。また隠元は子分を持つのが嫌いでそのくせ頼んで来ると何でも聞いてやり面倒をよく見てやった。隠元狸さんは魚が大変好物で、漁師達はとれた魚を与えたり、相撲をとったりして機嫌をとっておくと何時も大漁であった。願い事は良く聞いてくれるそれはそれは義侠心の強い愛すべきお狸さんであったと言う。』
『むかし此の浜は松林と葺原が二キロメートルも続いた荒波の打ち寄せる海岸の淋しい松並木であった。此処にたくさんの狸が住んでいた。中でも変幻自在の茶目っ気の多い狸が居った。高入道に化けるのが得意で吉野川もひとまたぎするほど大きくなる事も出来たと言う。又疾風のように早く走る事もあったらしい。村人達はこの狸を隠元狸と呼んでいた。
金長狸と六右衛門狸との合戦のときには双方の陣営から「加勢を頼む」と度々の要請にもなかなか動かなかった大物であった。後日金長方に味方をし大層な働きをして阿波の狸の中でも指折りの豪傑となった。また隠元は子分を持つのが嫌いでそのくせ頼んで来ると何でも聞いてやり面倒をよく見てやった。隠元狸さんは魚が大変好物で、漁師達はとれた魚を与えたり、相撲をとったりして機嫌をとっておくと何時も大漁であった。願い事は良く聞いてくれるそれはそれは義侠心の強い愛すべきお狸さんであったと言う。』
場所は以前から紹介しているマリンピアの入り口、つまりもともとは海の直ぐ側に祠があります。
地元の方たちのお世話できれいに管理されています。
かつての堤防であった大きなコンクリートの壁に大きなイメージイラストが描かれているので、目印にもなります。
沖洲インターのすぐ近くなので、ぜひお散歩がてら出向いていただいて、狸たちのいきいきとした姿を浮かべてもらいたいです(*^^*)