月山富田城跡
観光・レジャー
島根県安来市広瀬町富田
[地図]
月山富田城跡の「鹿介桜」は七難八苦を耐え抜く勇敢な山桜
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島根県・鹿介桜
島根県安来市にある月山富田城は長らく尼子(あまこ)氏の治めるお城でしたが、室町時代以降、毛利氏に攻められついに負けて毛利氏支配になります。
そんな尼子氏の家来の中で、戦国時代から安土桃山時代に尼子十勇士の筆頭で尼子三傑と言われた山中幸盛 通称山中鹿介(やまなかしかのすけ)は、地元出雲の国で生まれ尼子氏の復興のために戦ったひときわ武勇優れた人物でした。
山中鹿介の有名な逸話で「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったというエピソードがあります。
後に勝海舟にもその才能を高く評価された鹿介、「山陰の麒麟児」とまで言われた山中鹿介のファンは今でも少なくないでしょう。
さて、そんな鹿介達が守ろうとした月山富田城は、現在は桜の名所でもあります。そしてその中にひときわ注目される桜の木があるのです。
その名もずばり!「鹿介桜」です。
城跡の麓から車で2、3分上がった場所に駐車場があります。
そこから徒歩で3分ほど登ると鹿介桜に到着します。
なぜ鹿介桜と呼ばれるようになったのかー
2019年8月の台風10号によって、大土塁と呼ばれる場所に立つこの山桜は根元から2mほどで幹の半分が裂け折れてしまいました。なんとか半分だけはつながっていたのでこの桜をそのままにしていたところ、驚くことに翌年の3月になると、折れた枝先にも見事な花を咲かせて皆を驚かせました。
当時、地元のTVニュースにもなってこの桜を見たい多くの人が月山富田城跡を訪れました。
以来、この半分折れたままの山桜はずっと花を咲かせ続けているのです。
そんな困難にもへこたれずに咲くこの山桜のたくましさ、力強さに感動した地元の人は、尊敬と親しみの念こめて「鹿介桜」と命名しずっと大切に見守り続けています。
この画像ではわかりにくいのですが、折れた部分からの開花数は以前より少なくなっていました。が、まだ折れた枝の半分くらいからは開花が見られました。
新しい枝も増えて世代交代が進んでいるようですが、できるだけ長く鹿介桜のこの姿を見ていたい気もします。
鹿介桜の横には月山富田城跡の山頂に登る道が続いています。
ソメイヨシノが今真っ盛りにあちこちで咲いていました。
山頂まではなかなか険しい道のりです。以前は近くまで車で行けたのですが、現在は不可になってしまい気楽に行けなくなりました。
月山富田城跡 鹿介桜
住所:島根県安来市広瀬町富田電話:0854-32-2767(安来市立歴史資料館)常時開放