津崎村岡局の銅像
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京都府京都市右京区嵯峨亀ノ尾町
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大河ドラマ『篤姫』にも登場した「維新の女傑」の銅像
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京都・嵐山の亀山公園(嵐山公園の亀山地区)には「京都三大銅像」のひとつとされる角倉了以の銅像がありますが、そのすぐそばにもうひとつ、「津崎村岡局の銅像」があります。
「津崎村岡局」と馴染みのない名前ですが、本名を津崎矩子(つざきのりこ)といい、幕末の近衛家の老女で、勤王家としても知られた人物です。ちなみにこの場合の「老女」とは年老いた女性のことではなく、公家や武家で、侍女の筆頭である女性のことをいいます。
近衛家に仕え、老女になると村岡局と名乗りました。
近衛忠熙の信頼を得た村岡局は、西郷隆盛や梅田雲浜、勤王僧として知られる月照などの勤王家と盛んに交流し、その活動を支援したことから、「維新の女傑」と呼ばれます。
近衛忠熙の信頼を得た村岡局は、西郷隆盛や梅田雲浜、勤王僧として知られる月照などの勤王家と盛んに交流し、その活動を支援したことから、「維新の女傑」と呼ばれます。
島津斉彬の養女・篤姫(後の天璋院)が近衛忠熙の養女として13代将軍・徳川家定と結婚した際は、近衛忠熙の正室は既に亡くなっていたため代わり養母役を務めました。NHK大河ドラマ『篤姫』では星由里子さんが演じていましたね。
維新後は北嵯峨に隠居し、付近の子女の教育に尽力したそうです。
その功績を称えて銅像が作られたんですね。
その功績を称えて銅像が作られたんですね。