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【石巻市】地元民がのんびり歩く石巻ぶらり旅(駅前~旧観慶丸~石巻ニューゼ編)
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まちフォト
宮城県・石巻市
宮城県石巻市の旧市街地には震災を乗り越えて今も貴重な「歴史」を残してくれている所があります。そんな急ぎ足の旅行では見落としがちなスポットをご紹介しましょう。
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石巻にはかつて仙台藩御用達の鋳造所がありました。江戸時代に幕府が貨幣増産のため伊達藩に鋳造を許可。その鋳造場として選ばれたのが、原料や燃料が豊富で輸送に便利だった石巻でした。鋳銭場は高い塀で囲まれ、出入り口は1カ所。溶鉱炉や工場が立ち並び、常時200人~300人が働いていました。今では跡地が残るだけですが、伊達藩の主要地として栄えた名残が感じられる場所です。石巻がいかに仙台藩にとって重要な位置を占めていたかが分かります。
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ひときわ目立つのがこの「旧観慶丸商店(きゅうかんけいまるしょうてん)」。101枚のタイルで装飾された石巻に初めて出来たデパートでした。観慶丸という名称は昔海運が盛んだった頃、米を運んでいた船の名前です。大量の米を運んだ船は、バランスを取るために同じくらいの重さの瀬戸物をはじめ様々な珍しいものを積んで来たのでした。。
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そして石巻を訪れたら是非立ち寄って頂きたいのが「石巻ニューゼ」です。
この場所は震災直後にいち早くコミュニティ「石巻まちカフェ」を立ち上げた場所であり、現在もなお「絆の駅」としての役割を担ってくれています。
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ここには、震災翌日に自らも被災した「石巻日日新聞社」が作成した「手書きの壁新聞」の原本が展示されているんです。今はもうあまり目立たない場所になっていますが、個人的には震災を肌で感じられる唯一無二の資料館だと思っています。
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