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京都・二条に残る国家教育機関の痕跡

まちフォト
京都府・二条
京都の二条にある「大学寮跡」(だいがくりょうあと)は、平安時代に設置された国家の教育機関である「大学寮」の遺跡です。大学寮は、律令制度のもとで官僚養成を目的とした最高学府であり、貴族の子弟や官人の子弟が学ぶ場でした。
大学寮は主に儒教・歴史・法制・文学・算術などを教える場でした。
特に「四書五経」を中心とした儒学教育が重視され、国の官僚制度に組み込まれるエリートを育成する役割を担っていました。
特に「四書五経」を中心とした儒学教育が重視され、国の官僚制度に組み込まれるエリートを育成する役割を担っていました。
平安時代の大学寮は、現在の京都市中京区二条付近に位置していたとされます。
具体的には、二条城の東側周辺がその跡地と考えられています。この場所には、学生たちが学ぶ施設のほか、講義を行う建物や宿舎などがあったと考えられています。
具体的には、二条城の東側周辺がその跡地と考えられています。この場所には、学生たちが学ぶ施設のほか、講義を行う建物や宿舎などがあったと考えられています。
平安時代中期以降、律令制の衰退とともに大学寮の機能も低下しました。
鎌倉時代には、武士の台頭によって官僚制が変化し、学問の中心も公家社会から禅宗寺院などへと移っていきました。そのため、大学寮は次第に廃れ、正式な形では消滅してしまいました。
鎌倉時代には、武士の台頭によって官僚制が変化し、学問の中心も公家社会から禅宗寺院などへと移っていきました。そのため、大学寮は次第に廃れ、正式な形では消滅してしまいました。

現在、二条城の西にある京都市立中京中学校のフェンス南側に「大学寮跡」の説明板があります。また、周辺の東には「此附近 大学寮址」の石標も立てられています。
