「御霊神社」とは、非業の死を遂げた人の霊の怨念を恐れて、その霊を鎮めるために建てられた神社のことを指します。京都では上御霊神社や下御霊神社などが知られています。
上御霊神社は、早良親王(さわらしんのう)、吉備真備(きびのまきび)、橘逸勢(たちばなのはやなり)などの13柱の御霊をまつっています。
正式名は「御霊神社」で、「上御霊神社」という社名は「下御霊神社」に対応するものです。
桓武天皇の時代、各地で疫病が流行していました。これは非業の死をとげた早良親王の祟りであるとして、794年に早良親王の御霊をこの地にまつったのが上五両羽神社の始まりだとされています。
応仁の乱 勃発の地
上御霊神社は応仁の乱が勃発した地として知られています。
応仁の乱は室町時代に起きた内乱であり、上御霊神社はそのような歴史的背景を持ちつつも、美しい自然に囲まれた静かな場所です。
訪れる人々にとって、歴史と自然が調和した特別な場所として親しまれています。
応仁の乱は室町時代に起きた内乱であり、上御霊神社はそのような歴史的背景を持ちつつも、美しい自然に囲まれた静かな場所です。
訪れる人々にとって、歴史と自然が調和した特別な場所として親しまれています。
↑ 境内にあるこちらの石碑の表字は、細川護熙元首相によるものです。