源光庵は、洛北鷹峯にある曹洞宗の寺院です。
貞和2年(1346)創建後しばらくして衰退しますが、元禄7年(1694)に住持した曹洞宗の卍山道白禅師(まんざんどうはくぜんし)により再興しました。
境内は緑にあふれ、とても清々しくて静かです。
元禄7年に建立された本堂には「悟りの窓」と名付けられた丸窓と「迷いの窓」と呼ばれる角窓があります。
「悟りの窓」の円は大宇宙を表現し、「禅と円通」を意味しています。
「迷いの窓」の四角は人の生涯を象徴したもので、生老病死の四苦八苦を表しています。
このように禅の教えを伝える2つの窓ですが、難しいことはわからなくても、その美しさは十分に感じることが出来ました。
「悟りの窓」「迷いの窓」のちょうど正面には木製のベンチが設置されていて、じっくりゆっくりと窓と対峙できるようになっていました。
撮影する絶好のスポットでもあるので、参拝されている方が順番に座って撮影していました。
なので、もちろん禅の悟りは開けません。
でも心が十分癒されたので、これはこれで良し!ですね。
私が訪れたのは新緑が美しい5月ですが、紅葉シーズンになるともっと幻想的な景色が見られます。
ただ紅葉シーズンは1年で最も参拝者が多い時期なので、あまりゆっくりできないかもしれません。
でも私もいつか秋の源光庵に行きたいと思っています。
源光庵のもう一つの見どころは、伏見城の遺構である血天井です。
関ケ原の合戦の約1カ月前、会津上杉討伐のため徳川家康が大坂から出陣した際、伏見城の留守を守ったのが重臣・鳥居元忠でした。
家臣わずか2000名ほどで守る伏見城を襲ったのが、石田三成。
4万の大軍に勇猛果敢に立ち向かう鳥居軍は、なんと2週間以上も持ちこたえたのです。
しかし最後は全員が壮絶な討ち死にを果たしました。
鳥居たちの伏見城の働きにより、家康は関ケ原の戦いに向けての十分な準備をすることができ、それが勝利につながったといいます。
戦後鳥居たちの供養をするため、血で染まった伏見城の廊下を数ヶ所の寺院の天井に移築しましたが、その1ヶ所が源光庵です。
血だまりの中に残った手型や足型がはっきりとわかる血天井。
彼らの魂が今もそこに残っているような生々しさに思わず手を合わせました。
迷い続ける暮らしの中で、たまに訪れる癒しの時間。
それが日々のうるおいであり、一種の悟りなのかも。
源光庵で、ほんの少し悟った(かもしれない)気分を味わうことが出来ました。
源光庵の基本情報
  • 住所  京都市北区鷹峯北鷹峯町47
  • 電話  075-492-1858
  • 本堂拝観時間  9:00~17:00
  • 拝観料 400円(紅葉シーズンは500円)