今日は大分市の遊歩公園に行ってきました。
大分県の有名な歴史を、銅像とともに学べる公園です。

公園とはいいますが、県庁本庁舎と教育庁舎の間にある道路の、しかも中央分離帯の中にあります。
戦国時代に、ポルトガルに送られた遣欧使節団についての記述です。
大分県出身者も、そのメンバーにいました。
向こうで神学を中心とした最新の学問を学んで帰ってきたようです。

だが、時代は味方せず。禁教の苦難に遭いました。
かの有名な滝廉太郎は、大分県で人生の最終章を迎えました。
これらは孤児院、西洋外科手術、牛乳、西洋音楽、西洋演劇が日本で初めて大分県に入ってきたことを説明する銅像です。

現在、九州といえば、最も栄えている町はどこか。
福岡・博多でしょう。
しかし、当時はその博多すらも大友宗麟の支配地に入っていました。

貿易で果たしてどこまでの利益、物品、情報を仕入れていたのか。
謎につつまれたままです。
最近、大分市内でも外国の方を多く見かけます。
これを機に、ポルトガル・スペインと大分市の交流等が始まれば町興しの1つになるのではないかと思います。

歴史はあるが、そのストーリー性を、大分県は地域アピールにイマイチ使い切れていない気がします。これは大分市民としては悔しいです。今後に、是非期待したいです。