今尚、江戸時代の石造りの防波堤が残る鳥取県赤崎町の「菊港」は、1652年~1655年には鳥取藩にあった十港の1つで、藩米を運ぶ重要な港として北前船や弁財船が出入りした賑やかかりし歴史を持つ港です。


画像の奥にも石造りの防波堤があります。

「菊港」という名前の「菊」とは、この辺りの豪商の孫姫だった菊姫に由来します。菊姫はあの国宝松江城主 堀尾一族の出で、ここ赤崎の豪商 河本家に嫁いできた方です。
河本家は、江戸の大火によって鳥取藩が焼失した折に、この港から材木を調達したり運搬して再興に尽力した他、港の改修にも貢献して地域に尽くしたため、その労をねぎらい感謝の気持ちを込めて港に「菊」の名を入れました。
河本家は、江戸の大火によって鳥取藩が焼失した折に、この港から材木を調達したり運搬して再興に尽力した他、港の改修にも貢献して地域に尽くしたため、その労をねぎらい感謝の気持ちを込めて港に「菊」の名を入れました。

当時を思わせる石造りの防波堤の先端には、3体の石でできた彫像(現代彫刻)があります。これが「波しぶき三度笠」で、海の安全、旅の安全を見守っています。
一瞬意味がよくわからない名前ですが、3体の後姿はなんとなく親しみを感じさせます。お地蔵さんではないところがユニークです。


